【7月27日 marie claire style】音楽業界におけるジェンダーの問題は、男女平等が推進された今でも議論の的になる。そんな問題に切り込み、女性作曲家として多くの女性に夢を与えた女性がいる。それがエリー・グリニッチだ。彼女はキャロル・キングと共に、アメリカン・ポップスの歴史を語るうえで欠かすことのできない「ブリル・ビルディング」の数少ない女性メンバーだった。

 1940年にブルックリンで生まれ、幼い頃から詩を書いて、新聞に投稿したり、ダンスをするのが好きな少女だった。13歳になるとピアノで自作の曲を弾くようになり、高校時代にはクラスメイトとバンドを組み、音楽への夢を膨らませていった。そんな娘を温かい目で見守っていた母は、Cadenceレーベルの代表アーチー・ブレイヤーとの面会を取り付け、エリーの才能を買った彼は彼女をエリー・ゲイという芸名でシングル・デビューさせた。結果的にそのシングルはヒットに結びつかず、エリーは肩を落とすが、音楽の夢は諦めなかった。

 大学で英文学を専攻していた彼女は、あるパーティーでジェフ・バリーに出会う。ジェフは後にエリーの作曲家としての、そしてプライベートでのパートナーになる運命の相手だったが、その時まだ彼は既婚者であり、エリーとのロマンスは生まれなかった。大学卒業後、英語の教師として働いていたが、たったの3週間でその仕事を辞め、音楽一本へと決意する。そのきっかけを与えてくれたのが冒頭に述べたブリル・ビルディングに所属する才能あふれる黄金メンバーたちだった。

 メンバーの一員になったものの、ブリル・ビルディングの主要メンバーは男性であり、その強い仲間意識の中に入り込んでいくのは容易ではなかった。「キャロル・キングや私がこの業界に入ってきた62年は、女性のほとんどがコーラスか作詞くらいしか担当させてもらえなかった」。そんな逆境をエリーは「Be My Baby」や「Baby, I L ove You」などのヒットソングですべてひっくり返した。彼女が得意とするのは10代の女の子たちの心を鷲摑みにするような、甘くてほろ苦いティーンポップスで、80年代まで彼女は作曲家として活躍し続けた。バリーとの結婚生活は3年と長く続かなかったが、彼とは同じ夢を追う者同士として関係は継続した。

 2009年の夏、エリーは彼女が愛し続けたニューヨークで永遠の眠りにつく。そう、彼女が心をときめかせながらドアを叩いた、ブリル・ビルディングのあるこの街で。

■プロフィール
多屋澄礼(Sumire Taya)
1985年、東京都出身、京都在住。インディ・ポップという音楽ジャンルを軸にイラストレーター、ライター、DJとして雑誌や本などで執筆を手がける。女性DJグループ、Twee Grrrls Club主宰。レーベル&ショップ、Violet And Claireのオーナーとして、女性作家や海外の雑貨などをセレクト。2012年、Twee Grrrls Clubの著書として『インディ・ポップ・レッスン』を刊行。その後、アレクサ・チャン著『IT』の日本語版の翻訳を手がけ、15年には女性ミュージシャンのライフストーリーを綴った『フィメール・コンプレックス』、京都のガイドブックとして『New Kyoto京都おしゃれローカルガイド』を刊行。

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(c)marie claire style / selection, text, illustration: Sumire Taya