【5月25日 marie claire style】人工知能研究者と話していて、気付いたことがある。彼らは「人間」をつくろうとしている。いろいろなことを「記憶」させることによって、人工知能は成長し、ときには人間を超えていく。だとすると、人間というのは「記憶の動物」だといえる。

 今まで僕は、人間とは「なにを経験したか」で形成されると思っていた。でもおそらくそれは違うのだろう。人間は、なにを忘れてしまったのか、そしてなにを忘れられないのかで形成されるのだ。

 本作は、ある老いた男性の「記憶」をめぐるサスペンスだ。

 90歳のゼヴは認知症の瀬戸際にいる。記憶は目覚めるたびに消えたり蘇ったりを繰り返している。そんな彼の最愛の妻が死んだ。だが、ゼヴはそれすら忘れてしまうほど、物忘れがひどくなっていた。そんなある日、彼は友人のマックスから手紙を託される。「ここに書かれた約束を必ず果たしてほしい。君が忘れても大丈夫なように、すべてを手紙に書いた」とマックスは告げる。

 ゼヴとマックスはアウシュヴィッツ収容所の生き残りだった。70年前に、彼らの家族は、あるナチス兵に殺されていた。その兵士は身分を偽り、今も優雅に生きているという。体が不自由なマックスに代わり、ゼヴは単独での復讐を決意し、託された手紙と、失われていく記憶を頼りに旅立つのだが・・・。

 いわゆるユダヤ人、ナチス、ホロコーストといった題材の映画はあまた作られてきたが、本作のアプローチはまったく異なる。本作で描かれるのは「現代」だけで、ホロコーストで起きた悲劇はすべてひとりの老いた男性の「記憶」の中だけにある。そしてその「記憶」は消えたり蘇ったりと曖昧なものだ。

 監督は『スウィート ヒアアフター』をはじめ、数々の名作を生み出してきたアトム・エゴヤン(Atom Egoyan)。「記憶」をテーマにサスペンスを描かせたら右に出るものはいない名匠が「記憶の秀作」を誕生させた。

 肝心な情報が「記憶」であるだけに、そこには覚えていること、忘れていること、そして都合よく書き換えられたことが混在する。それらの記憶が、ゼヴの旅の中でつぎつぎと描かれ、新たな事実を浮かび上がらせる。そして物語は、まったく予想もしない結末へと向かっていく。

 その衝撃的なラストシーンを見た後、人間とは「記憶の動物」だとあらためて思った。記憶さえ自由に操れれば、われわれは何者にでもなれる。

■プロフィール
川村元気(Genki Kawamura
1979年、横浜生まれ。映画プロデューサーとして『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『バケモノの子』『バクマン。』『君の名は。』『怒り』を製作。2010年、米The HollywoodReporter誌の「Next GenerationAsia」に選出され、翌年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。12年には初の小説『世界から猫が消えたなら』を発表。同書は本屋大賞へのノミネートを受け、130万部突破のベストセラーとなり、映画化された。他、著書として、小説『億男』、対話集『仕事。』『理系に学ぶ。』『超企画会議』など。2年ぶりとなる最新小説『四月になれば彼女は』が文藝春秋より発売中。

■関連情報
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(c)marie claire style / selection, text: Genki Kawamura