【5月25日 marie claire style】流しのアコーディオン弾きのピエレット・ドリアン、ブローニュ・ビヤンクールのルノー自動車工場の労働者たち。フランス写真界の巨匠ロベール・ドアノー(Robert Doisneau)が、瞬時の意識の流れを掬い取ったモノクロームの世界には、どれも日常の中に秘められた詩情が溢れている。

 編集者としてパリに住んでいた頃、一度ドアノーと仕事をしたことがある私には、そのストイックで謙虚な彼の態度に、すっかり恐縮してしまった記憶がある。パリを愛し、労働者のようなハンチングを被り、赤ワインをコートのポケットに忍ばせて撮影をしていたドアノーは、ある時たった一枚の写真によって、人生を覆される。ことの発端は、皮肉にもドアノーの代表的傑作「パリ市庁舎前のキス」だった。それは1950年に、『ライフ』誌の依頼で撮った中の一枚で、市庁舎前広場の人混みの中、一組の若い恋人たちがキスをしている作品だ。その写真が有名になると、自分がモデルだという人たちが現れ、正真正銘のモデルまで名乗り出てきて、彼は告訴されてしまったのだ。結局その本当のモデルは、サイン入りの彼の写真をオークションにかけて、約2000万円という、写真としてはかなりの高額で手放し、そのニュースは世界を駆け巡った。 

 今回、ロベール・ドアノーの孫娘、クレモンティーヌ・ドルディル(Clementine Deroudille)が監督したドキュメンタリー映画『パリが愛した写真家/ロベール・ドアノー〈永遠の3秒〉』は、そうした彼の生涯について語られたもので、日本での上映のためにドルディル監督が来日した。

 キスの写真の撮影当時は、まだ戦後の混乱した時期で、今のようにパリの街角で抱擁している若い恋人たちの姿は皆無だったため、演劇学校の生徒たちにモデルになってもらったというのは事実だったようだ。

「私は子供の頃からずっと祖父の撮影に同行していました。青いシムカに乗って、どこにでもついていきました。私が知っているそうした日常の中の素顔と、名声を得た後の祖父、そうしたふたつの顔、その両面からこのドキュメンタリー映画を撮りたかった」 

 祖父と一緒に暮らしてきた孫の貴重な証言というだけでなく、美術史家でもある彼女の写真の価値に関する洞察も興味深い。

「20年前は、写真はまだアートとして認められていなかったので、祖父の名声は晩年になってやってきました。それまでは『ファム』などの雑誌で仕事をしていました。日本や米国に写真コレクターが現れるようになり、やっと写真もアートの仲間入りをしたのです」

 4月22日から、東京都写真美術館ホールやユーロスペース他、全国で上映されている。

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(c)marie claire style/text: Kasumiko Murakami