■2つの混乱の時代

 論文の共同執筆者で、アイルランド・ダブリン大学トリニティカレッジ(Trinity College Dublin)の気候史学者のフランシス・ラドロウ(Francis Ludlow)氏は、「河川の出水が良好だった時期は、ナイル峡谷(Nile Valley)は古代世界で最も農業生産性の高い地域の一つだった」と話す。

 だが、ある時期にナイル川の水位が上がらなくなり、その後に王朝は困難に陥った。これがなぜ起きたかについては、これまで解明されていなかった。

 米エール大学(Yale University)のジョセフ・マニング(Joseph Manning)氏率いる研究チームは、気候モデル、グリーンランド(Greenland)の氷床コア、古代エジプト文書などの情報をつなぎ合わせて、世界各地の大規模な火山噴火との明白な関連性を示すストーリーを構築した。

 紀元前245年、プトレマイオス3世(King Ptolemy III、在位紀元前246~同222年)は、現在のシリアとイラクに当たる地域を中心に栄えていた宿敵セレウコス朝に対する優勢な軍事攻勢を不可解にも突然中止した。

「この180度の方針転換が、近東の歴史のすべてを変えた」と、マニング氏は指摘する。また歴史文献によると、時期を同じくして、ナイル川の出水が不十分だったことに起因する食糧難と過激な暴動が、アフリカ北東部と中東の一部に広がるプトレマイオス朝で起きたのだという。

 プトレマイオス朝は滅亡に至る最後の20年間にも、社会の激変、疫病、飢饉(ききん)が同時発生する同様の事態に見舞われた。

 研究チームは今回の研究で、これら2つの混乱の時代がどちらも、大規模な火山噴火とその時期が重なっていることを突き止めた。

 さらに、大規模噴火で大気圏上層部に噴出する数千万トンの二酸化硫黄(SO2)粒子により、雨期の大雨が赤道の北方に移動してナイル川源流部のエチオピア高原まで到達するのが妨げられる結果、源流部全域に十分な量の雨水が供給されない可能性があることも最近の記録から判明している。

 この現象は、939年と1783~84年にアイスランドで火山が噴火した際に起きていた。622年以降のナイル川の水位が記録されているナイロメーター(Nilometer)にも、これらの噴火に対応する河川への影響が示されている。

 ラドロウ氏は、「火山噴火それ自体が、これらの(社会的)激変を引き起こしたわけではない」と説明する。そして、「既存の経済的、政治的および民族間の緊張状態が、火山噴火によってさらに悪化した可能性が高い」と付け加えた。(c)AFP/Marlowe HOOD