【9月26日 AFP】フランス北西部ブルターニュ(Brittany)地方のセザンブレ(Cezembre)島には、第2次世界大戦中(World War II)の不発弾が島全体に残っている。専門家によると、1平方メートル当たりの被弾数では大戦中、最も多かった地域だという。

 戦後70年以上たった2018年にようやく訪問が可能になったが、観光客が歩いても安全なエリアは島のわずか3%。危険区域に立ち入らないよう、ルートには標識が立ち、鉄条網が張られている。

 それでも砂浜の先にはターコイズブルーの海が広がり、その向こうには港町サンマロ(Saint-Malo)の城壁が見える。

■地盤沈下するほどの爆撃

 1942年、フランスを占領していたナチス・ドイツ(Nazi)軍は、戦略上の要衝だったこの島に掩蔽壕(えんぺいごう)や大砲を設置した。

 1944年8月17日、サンマロは米軍によって解放された。だが、セザンブレ島で約400人の部隊を率いていたナチスの司令官は降伏を拒否。そこで連合軍は激しい空爆を行った。

 書籍「Les Secrets De L'Ile De Cezembre(セザンブレ島の秘密の意)」の著者フィリップ・ドゥラコット(Philippe Delacotte)氏は、「1平方メートル当たりで換算すると、第2次世界大戦の全作戦地域の中で最も多くの爆撃を受けたと言われています」と語る。「4000~5000発の爆弾が投下され」、中にはナパーム弾も含まれていたという。島は破壊しつくされ、爆撃によって地盤が沈下するほどだった。

■よみがえる自然

 戦後、島はフランス国防省の管轄下に置かれ、完全に立ち入り禁止となった。不発弾除去の最初の作業は1950年代に行われた。そして2017年、沿岸域保全整備機構(Conservatoire du Littoral)に引き渡された。

 約800メートルの遊歩道では、さびた大砲や掩蔽壕を見学しながら、フレエル岬(Cap Frehel)やバルド岬(Pointe de la Varde)方面の絶景を眺めることができる。

 時がたつとともに、カモメやウ、ウミガラス、ウミバトなど海鳥のコロニーも復活している。

 島全体を1周できるように遊歩道を延長してほしいという声も上がっている。だが、保全整備機構によるとその可能性はほとんどない。不発弾のさらなる除去には、天文学的な費用がかかるためだ。今や鳥と自然が、島の主となっている。(c)AFP/Benjamin MASSOT