【8月30日 AFP】ジャマイカの伝説的音楽プロデューサーで、「ダブ」と呼ばれるジャンルの先駆者でレゲエの世界を広げたリー・スクラッチ・ペリー(Lee "Scratch" Perry)氏が29日、死去した。85歳。

 死因は公表されていない。ジャマイカのアンドリュー・ホルネス(Andrew Holness)首相は、ペリー氏が同国北西部ルシア(Lucea)の病院で死去したと発表し、「ジャマイカはきょう、多くの作品を生み出し、多くの人に影響を与え続けている音楽アイコンのリズムと魂を失った」と追悼した。

 ボブ・マーリー(Bob Marley)ら多彩なアーティストのプロデューサーを務めたペリー氏の才能は時代やジャンルを超越し、ヒップホップからポストパンクにまで確かな影響を与えた。

 ペリー氏は1936年3月20日、ジャマイカの地方の町ケンダル(Kendal)で生まれた。1950年代後半にコクソン・ドッド(Coxsone Dodd)のサウンドシステムのレコード販売を始め、一方でレコーディングのキャリアを積んだ。

 1968年には自身のレーベル「アップセッター・レコーズ(Upsetter Records)」を設立。「ピープル・ファニー・ボーイ(People Funny Boy)」では、赤ちゃんの泣き声を音源として使った革新的な音作りで称賛された。サンプリングを用いた初期の作品だった。

 ペリー氏の独創的な作品や録音技術、奇抜な人柄が高い評価を得て、ジャマイカ国内外、特に英国で人気を博した。

 1973年にはジャマイカ首都キングストンの自宅の裏庭にレコーディングスタジオ「ブラック・アーク(Black Ark)」を設立し、レゲエやダブの数々の名曲を生み出した。

 リズムや反復のレイヤリングに精通していたペリー氏はサンプリングの名手となり、その作品は音楽の未来に新たな道を切り開いた。(c)AFP/Maggy DONALDSON