【1月27日 Xinhua News】中国河南省(Henan)洛陽市(Luoyang)にある商(殷)代の都城遺跡、偃師(えんし)商城遺跡に、これまでに発見された商代の都市水路の中で最も古く、最も整備された水路があったことが、最新の考古学研究で明らかになった。

 偃師商城発掘チームを率いる中国社会科学院考古研究所の陳国梁(Chen Guoliang)副研究員によると、偃師商城の内部水路は主に排水用で、外部水路には護城河(堀)とその外側を南北に流れる2本の川があった。内外の水路を循環させることで、都市の安全性や排水・洪水対策を確保したほか、宮殿エリアに3千平方メートル近い水面面積を持つ庭園を持つ美しい景観を実現したという。

 同遺跡は1983年に発見された。総面積は約2平方キロメートルで、大城と小城、宮殿の三重の城壁からなる。城壁や堀、城門、府庫(国家の文書・財物の保管場所)、穀倉、手工業作業場などの遺構が出土している。商の湯王が夏を滅ぼした後に築き、約200年間使用された。学術界では、同城の築城が夏王朝と商王朝の年代境界とされている。

 遺跡の調査では、小城エリアで異なる時期に造られたとみられる東西方向の水路2本が確認された。宮殿エリアの雨水を同エリアの外側を囲む水路に排水し、さらに幹線水路に合流させて城外に排出していたと思われる。

 各水路はどのように城内を貫いていたのだろうか。大城エリアの西側城壁付近では、幅約2・7メートルの東西に流れる明渠(めいきょ)跡が見つかった。水路の両側には幅約50センチの石が積まれ、底には石板が敷かれていた。

 宮殿エリアの外側の北東部では暗渠(あんきょ)跡も見つかった。水路の角の部分も一度の工事で施工しており、上部を石板で覆い地下に埋設してあった。

 陳氏は「明渠と暗渠の組み合わせだけでなく、水路の底に魚鱗状に石を敷いて水の流れを緩やかにしていた。等高線濠を城壁建設の水平補正に用いる技術も習得していた」と説明。偃師商城の「東一門」の下で見つかった排水溝の底には魚鱗石板が敷かれており、敷設方向と水流の方向は一致していたという。

 水路の分布状況が次第に明確になるにつれ、大城が「菜切包丁」の形状に築かれていた理由も明らかになった。陳氏は、城郭を小城から大城へ拡張する際、西に峡谷、南東に湖、東に南北に流れる川があったため、北東方向にしか拡張できずに「刃物の柄」の形になったと説明した。

 発掘調査は現在も続いている。専門家の間では、偃師商城に護城河をまたぐ懸樋(かけひ)のような設備があったのではないか、堰や水門などがあったのではないかなど多くの臆測を呼んでいる。(c)Xinhua News/AFPBB News