【1月18日 AFP】(更新)米音楽プロデューサーとして1960年代のポップ音楽に変革を起こしたものの、殺人罪で禁錮刑を受け収監されていたフィル・スペクター(Phil Spector)受刑者が死亡した。米カリフォルニア州当局が17日、発表した。

 同州更生・矯正局の発表によると、スペクター受刑者は16日に死亡が確認された。「公式の死因は今後、検視官が決定する」としている。

 全盛期のスペクター受刑者は、誰もが認めるロックンロールのプロデューサーの大立者として活躍した。1960年代、スペクター受刑者はレコード会社「フィレス・レコード(Philles Records)」を設立したほか、「ウォール・オブ・サウンド(Wall of Sound)」という新たな録音技術を生み出し、ほぼ独力でレコード業界に変革をもたらした。ウォール・オブ・サウンドは多数のミュージシャンが演奏する個々のパートを重ねる手法で、スペクター受刑者の生み出すサウンドにオーケストラのような独特な音質を加えた。

 スペクター受刑者は米ボーカルグループ、クリスタルズ(The Crystals)の「ハイ・ロン・ロン(Da Doo Ron Ron)」、「キッスでダウン(Then He Kissed Me)」や、米歌手グループ、ロネッツ(The Ronettes)の「ビー・マイ・ベイビー(Be My Baby)」、米デュオのライチャス・ブラザーズ(The Righteous Brothers)の「ふられた気持(You’ve Lost That Lovin’ Feelin)」、「アンチェインド・メロディ(Unchained Melody)」など数々のヒット曲を生み出した。1970年初頭には英ビートルズ(The Beatles)のヒットアルバム「レット・イット・ビー(Let it Be)」の共同制作に携わったほか、ジョージ・ハリスン(George Harrison)のソロアルバムやジョン・レノン(John Lennon)の「イマジン(Imagine)」などを手掛けた。

 しかし、1970年代終わりまでにスペクター受刑者は年々人との関わりを避けるようになり、風変わりな行動が取り沙汰されるようになっていった。

 2003年、スペクター受刑者は自宅で女優のラナ・クラークソン(Lana Clarkson)さんを射殺したとして起訴された。同年2月にクラークソンさんの遺体が見つかるわずか数週間前、スペクター受刑者は英紙デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)のインタビューに応じていた。同受刑者がインタビューに答えるのは珍しく、質問は多岐にわたった。受刑者は「私はおそらく人より正気ではないと思う」と述べ、「私は自分自身の最悪の敵だ。私の中には私と戦う悪魔がいる」と述懐していた。(c)AFP