【10月24日 東方新報】中国のスポーツ界を長年支えてきた「軍人チーム」が、その役割を終える時を迎えた。中国共産党中央軍事委員会訓練管理部の軍事体育訓練センターは20日、人民解放軍所属のプロスポーツチーム「八一体育工作大隊」を全面的に改革し、バスケットボール、バレーボール、卓球などのチームは今後、プロリーグに参加しないと表明した。オールドファンからは別れを惜しむ声が出ている。「八一」の名前は、人民解放軍の建軍記念日の8月1日に由来する。八一体育工作大隊は1951年9月に創設され、中国のスポーツ界を先導してきた。

 身長2メートル28センチで中国男子バスケ代表を長年務め、1979年には前年の米国プロバスケットボール(NBA)のワシントン・ウィザーズ(Washington Wizards)を破る原動力となった穆鉄柱(Mu Tiezhu)。女子バスケ代表に1984年ロス五輪銅メダル、1992年バルセロナ五輪銀メダルをもたらす主力となった鄭海霞(Zheng Haixia)。女子バレーで「命がけのプレー」と称され、1980年代の3大大会(五輪、世界選手権、ワールドカップ)5連覇の黄金時代に貢献した陳招娣(Chen Zhaodi)。ロス五輪女子体操で完璧な演技で10点満点を獲得し、中国初の五輪体操金メダリストとなった馬燕紅(Ma Yanhong)。1992年アルベールビル冬季五輪のスピードスケートで中国初のメダルを獲得した葉喬波(Ye Qiaobo)。1996年アトランタ五輪卓球のシングルスとダブルスで金メダルを獲得した劉国梁(Liu Guoliang)。いずれも軍所属のアスリートたちだ。世界王者を次々と輩出したことから、八一体育工作大隊は「金メダリストのゆりかご」とも言われた。

 中国経済が高度に発展する以前の時期、八一体育工作大隊は練習環境に恵まれ、多くの有望なスポーツ選手が参加した。優秀な成績を収めれば軍隊での階級も昇格し、引退後も終身で手厚い待遇を受ける。代表選手の世界的活躍は国民の愛国心高揚にもつながった。

 しかし、中国が急速な経済成長を始めると、状況は変わってくる。大企業がスポンサーとなったプロチームが次々と発足し、民間でも選手の練習環境は充実し、高額の報酬が得られるようになった。

 1951年創設され中国サッカー史上最も古いクラブの一つ・八一足球隊は1986年まで国内タイトルを5回獲得した古豪だが、1994年から始まった全国リーグでは外国人選手の加入やスポンサーの獲得が困難なため苦戦が続き、2003年に解散した。

 最近では、中国プロバスケットボールリーグ(CBA)の「八一ロケッツ」の低迷が象徴的だ。1995年のCBA創立から5年連続優勝をしたが、その後は2006~07年シーズンを最後に優勝から遠ざかった。最近は外国人スター選手を擁する他のチームに大敗する試合も目立つ。

 中国スポーツの商業化・国際化が進む中、八一体育工作大隊は「戦略的撤退」の道を選んだ。中国メディアでは早くも往年の軍人アスリート特集を組んでおり、「その功績は永遠に記憶される」とたたえている。(c)東方新報/AFPBB News