【9月21日 AFP】モーリタニア中南部に位置するティシット(Tichitt)は数世紀前、サハラ交易の拠点都市だった。金や塩、布を運ぶ隊商が、ラクダに水をやったり、商談をしたりするために立ち寄る場所だった。

 しかし、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産(World Heritage)であるこの地を訪れる人は今、ほとんどいない。乾燥地帯の偉大な隊商都市は忘れ去られている。砂丘に残された赤白の標識が、交易とイスラム文化のかつての中心地を示しているだけだ。

 ティシットに住む英語教師のシェリフ・モフタール・ムバカ(Cherif Mokhtar Mbaka)さんは、「1か月間、車が全く来ない月もある」と悲しげに語った。黄金時代に築かれた石造りの建物は残っているが、2016年の調査では人口はわずか2470人だった。

 ティシットが栄華を極めたのは、11世紀から19世紀にかけてだ。トンブクトゥ(Timbuktu)やニジェール川(Niger River)流域に向かうサハラ横断ルート上にあることから、隊商の流れが絶えなかった。「陸路よりも海路で交易が行われるようになり、衰退を招いた」とムバカさんはいう。

 ティシットは最近、もう一つの経済的生命線を失った。有名なパリ・ダカール・ラリー(Paris-Dakar Rally)だ。

 このラリーの通過都市だったティシットには、レーサーや報道陣、観光客が押し寄せていたが、主催者は2009年、サハラ周辺での治安不安から舞台を南米に移し、レースは消えた。イスラム文化の至宝と言われたティシットの名声も時を同じくして薄れた。「ティシットは忘れられてしまった」と、ハマドゥ・ラー・メドゥ(Hamadou Lah Medou)市長(38)はいう。

 人口約400万人がまばらに暮らすモーリタニアの中でも、いっそう孤立しているティシットでの暮らしは困難だ。

 青色のブーブーを着たギルドゥ・ムハメドゥ・バブイ(Gildou Muhamedou Babui)さん(34)は、「ここでは何もすることがない、仕事もチャンスもない」と話す。バブイさんは市役所で経理を担当している。3900ウギア(約1万円)の月給は「少なくとも安定している」という。(c)AFP/Amaury HAUCHARD