【7月13日 AFP】ファティマ・ムジッチ(Fatima Mujic)さんは毎日、夫と3人の息子に祈りをささげている。4人は、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ(Srebrenica)で、25年前の夏に数日間繰り広げられたイスラム教徒の大虐殺で殺されたのだ。

 だが、今も行方が分からない長男に祈りをささげることは毎回ためらってしまうと、ムジッチさんはAFPに語った。「どこかで生きているとまだ思っている。長男のために祈り始めると手が震えて、どうすればいいのか分からなくなる」

 ボスニア・ヘルツェゴビナでは、1992年から始まった内戦が終わりに近づいていた1995年7月11日、イスラム系住民が多数を占めるボスニアの町、スレブレニツァをセルビア人武装勢力が急襲。数日間でイスラム教徒の成人男性や少年約8000人を連れ去って殺害し、遺体を埋めた。

 ムジッチさんの夫と2人の息子の遺体は内戦終了後に集団埋葬地で発見され、6600人以上の犠牲者が眠る追悼施設に10年前に埋葬された。

 しかし、今でも1000人以上が発見されていない。

 現在、サラエボ近郊の村に住むムジッチさんは、長男が発見されたという知らせを聞くために生きていると話す。

 最後に84か所の集団埋葬地が発見されてから10年が過ぎた。行方不明者協会(Missing Persons Institute)の広報担当者は、「2019年7月以降、犠牲者の遺体が発見されたのは13人だけだ」と述べた。

■「ママ、僕から離れないで」

 ムジッチさんは今も、子どもたちを最後に見た時のことを思い出す。

 当時、「安全な避難場所」とされていたイスラム教徒の居留地を守っていたオランダ軍をセルビア武装勢力が制圧したため、数千人のイスラム教徒の女性、子ども、高齢者がスレブレニツァ郊外の国連(UN)基地の前に集まっていた。ムジッチさんもその一人だった。

 ムジッチさんの16歳の末の息子は、ムジッチさんにしがみつきこう言った。「ママ、僕から離れないで」

「私は息子の癖毛をなで、『離れないから』と言った」「彼らが息子を連れ去ろうとしたので、追いかけた。ひょっとしたら殴られたのかもしれないが、その後のことはまったく覚えていない」

 夫とほかの息子2人は森に逃げようとしたが捕らえられたという。