【2月4日 東方新報】米プロバスケットボール(NBA)、ロサンゼルス・レイカーズ(Los Angeles Lakers)で活躍した世界的スター選手のコービー・ブライアント(Kobe Bryant)氏が、先月26日にロサンゼルス郊外のヘリコプター墜落事故で死亡したことを受け、中国でも悲しみが広がっている。ネットではファンたちの哀悼のコメントがあふれ、ブライアント氏と中国にまつわるエピソードがメディアで特集に組まれると、ファン以外の人たちの涙も誘った。

 NBA史上10本の指に入るレジェンドと呼ばれ、その高い攻撃力から猛毒ヘビ「ブラック・マンバ」の愛称で親しまれたブライアント氏の存在感は、中国でも別格だった。

 例えば2008年に開催された北京五輪にバスケットボール男子米国代表「ドリームチーム」が出場した際、中国のファンたちは全米で人気沸騰のレブロン・ジェームズ(LeBron James)、ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)よりも、当時現役選手でメンバーに選ばれていたブライアント氏を追いかけた。これはブライアント氏が広告塔を務めた米スポーツ用品大手のナイキ(Nike)が、中国プロバスケットボールリーグ(CBA)のスポンサーであったことが同氏の中国における知名度につながった面もある。

 2017年までの10年、ブライアント氏のユニホームの売り上げは中国が上位を占め、2016年の引退後も、中国でのNBAユニホームの売り上げはステフェン・カリー(Stephen Curry)やマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)氏を圧倒するほどだった。

 ブライアント氏自身も中国が大好きで、中国の青少年たちを対象としたバスケットボール・キャンプのコーチとして1998年に初めて中国に訪れた際、その熱烈歓迎ぶりに驚いたと話しており、「彼らのバスケットボールを学びたいという渇望に触れて、もう一度、ここに訪れようと思った」と語っている。この言葉通り、2001年に再び中国を訪れ、2006年から2015年まで毎年来ていた。

 2009年6月、ブライアント氏は宋美齢基金会と協力して「コービー中国基金」を設立。米中の低所得家庭児童の教育、スポーツ、文化、芸術などの領域を支援し、バスケットボール学校の建設を通じて中国のバスケットボール事業を後押しした。この基金に寄付された最初の500万元(約7863万円)は、2008年に四川大地震が発生した際、被災地児童の文化スポーツ活動への支援に使われた。

 ブライアント氏の中国に対する思い入れの強さは「中国は自分にとって第二のホームだ」と語るほどだった。2015年の米誌フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)が選ぶ米中関係に影響を与えた50人のうち、スポーツ界から唯一選ばれた。同誌はNBAにおける“駐中国大使”的人物で、毎年オフシーズンに中国に旅行へ行くたび、いたるところで“コービー”コールがおきるほどの人気者であったと論評している。

 ビジネスマン、投資家としてのセンスもあり、ブライアント氏は2009年に行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)中小企業サミットの対談イベントで、電子商取引(EC)大手アリババ(Alibaba、阿里巴巴)の創始者・馬雲(ジャック・マー、Jack Ma)氏と出会って以降、ビジネスのやり方の教えを受けたと言われている。そのかいあってか、2014年に投資したスポーツ飲料メーカー「ボディーアーマー(BodyArmor)」はそのブランド価値を一気に上げ、2018年には米飲料大手コカ・コーラ(Coca-Cola)も出資し、今やペプシコ(Pepsico)のゲータレード(Gatorade)と並ぶ。馬氏はブライアント氏について「創造精神にあふれた企業家だ」と高く評価していた。

 これほど中国人を愛し、中国人に愛されてきたブライアント氏の訃報は、バスケットボールファンでない人たちも悲しませた。先月24日、ブライアント氏は微博(ウェイボー、Weibo)上で中国人ファンに向けて「新春快楽」と発信したばかり。文末の「みんな、愛しているよ!」が、ブライアント氏から贈られた最後の言葉となった。

 1月26日午前9時47分、米カリフォルニア州カラバサス(Calabasas)でヘリコプターが墜落し、ブライアント氏と二女、操縦士を含む乗員9人全員が帰らぬ人となった。41歳のブライアント氏は膝や背中を痛めており、2時間以上乗り物に乗るのが苦痛であったため、プライベートヘリを好んで利用していたという。(c)東方新報/AFPBB News