【7月11日 AFP】1969年7月20日、米国の宇宙飛行士、ニール・アームストロング(Neil Armstrong)氏が人類で初めて月面に降り立った時、米テキサス州ヒューストン(Houston)にある地上管制センターの時計は午後10時56分を示していた。

 この偉業を伝えるため、AFPからは数人の記者が現地に派遣されていた。月の「静かの海(Sea of Tranquility)」から送られたライブ映像は、米航空宇宙局(NASA)ジョンソン宇宙センター(Johnson Space Center)を経由して世界中のテレビ画面に映し出された。

 ここに記すのは、50年前のその日、AFP記者らがフランス語で書いた原稿だ。会話部分は、NASAの記録と照らし合わせてある。

■ニクソン大統領との交信

1969年7月20日、静かの海──。

 午後11時49分:地上管制センターが、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)米大統領と回線がつながっていると告げた。大統領と宇宙飛行士らとの交信は計画通りだった。

 すぐに画面が二分割された。左側にはホワイトハウス(White House)で電話越しに原稿を読み上げる大統領、右側には身じろぎもせずに38万キロ離れた地球から届く声に耳を傾けるアームストロング船長とエドウィン・オルドリン(Edwin Aldrin)飛行士。

「すべての米国人にとって、今日は人生で最も誇り高い日に違いない」「君たちが成し遂げたことのおかげだ。天はもはや人間の世界の一部だ」

「ありがとうございます、大統領」「ここにいるのは、この上なく光栄で名誉なことです」。アームストロング船長が応じた。

 2人の宇宙飛行士は作業を再開した。オルドリン氏は、ブラインドのように開くアルミニウム製の薄いシートでできた「太陽風捕獲装置」を設置した。太陽風中の成分であるヘリウムやアルゴン、ネオン、クリプトン、キセノンといったガスの粒子を収集するための装置だ。粒子は地球に持ち帰って分析される。

 2人の飛行士は、「カンガルージャンプ」であらゆる方向に飛び跳ねた。月に降り立ってからすでに1時間以上が経過している。2人の動作をヒューストンから観察していたチャールズ・ベリー(Charles Berry)医師は、「体調は申し分ない」とコメントした。

 飛行士らは手当たり次第に標本を収集し、プラスチック製の袋に入れた。袋はこの後、金属製の密閉容器に格納される。

 作業では、プライヤやペンチ、シャベル、つるはし、ハンマー、サンプル管、定規などの道具が使われた。

 飛行士らは分厚い強化グローブをはめているため、小さい物をうまく扱えなかった。そのため、こうした道具は地球上で使用されるものより大きかった。また宇宙服を着ていると体を曲げることができないため、道具にはすべて伸縮性のある長い柄が付いていた。