【2月12日 AFP】米ニューヨークでデザインの仕事をしていたサバさんは、アートギャラリーの改装に携わるため、25歳の時に故郷イランの首都テヘランに戻った。それから数か月もたたないうちに、ギャラリーや複合住宅のロビーの改装などさらに3件の契約を結んだ。

「自分の会社をつくることが夢だったが、こんなに早く実現するとは思っていなかった。もしニューヨークにとどまっていたら、このような機会は得られなかっただろう」と、現在27歳になったサバさんは話す。

 イランにおける女性の地位は、この10年間で大きく変わったと言う。

「管理職の女性も信頼されるようになった。今でも特に建設現場では厳しい状況が続いているが、どこでも同じだ。ニューヨークだって厳しかった」と、サバさんはAFPに語った。

 革命から40年過ぎたが、女性の地位をめぐる問題ほど、政治的に敏感で矛盾を秘めた問題はない。革命後、イスラム法により女性は男性よりも低い地位に置かれた。例えば外国に行く時は、多くの場合、父親や夫から許可を得なければならない。

■未来に続く道

 一方、女性の教育は奨励されており、大学では女性の数が男性に勝っている。このような進歩は、将来に対する期待を生み、何百年も続いた伝統は覆された。

 テヘランで言語学を学ぶミナさん(25)は、「伝統社会で生きる自分たちの母親のようになりたくないと思う私たち若い女性にとって、大学へ通うことが将来への道を切り開く」と話す。

 考古学の学生であるサラさん(26)は、「何をするにしても、性別ですべてが決まる」と言う。「だから子どもを産み、控えめでいなければならないのだと信じてしまう。自立し、個性を持つ個人として見てもらえるかもしれないなんて、ほとんど考えない」と続けた。

 考古学界では、女性差別が当たり前だとサラさんは言う。「男性の考古学者は、たとえ有能であっても、女性とは仕事をしたがらない。厄介だというだけの理由だ。女性はいつもヒジャブを着用しなければならない…作業員たちは女性のことを軽視している」「この分野で成功した女性は、懸命に闘った人だ。だが、すべての女性がそこまで一生懸命闘えるわけではない」