【2月5日 AFP】ノルディックスキージャンプ男子のレジェンドであるマッティ・ニッカネン(Matti Nykanen)氏が、55歳で急死した。4日に母国フィンランドのメディアが伝えた。

 スキージャンプ界で史上最高の選手とされるニッカネン氏は、冬季五輪で計4個の金メダルを獲得したほか、通算6度の世界選手権制覇と通算4度のW杯総合優勝を飾るなど、1980年代に圧倒的な強さを誇った。

 フィンランド放送協会(YLE)や地元誌などでは、「近しい関係者」の話として、ニッカネン氏が4日までに急死したと伝えられた。死因については現時点で不明。YLEによれば、同氏は2018年に糖尿病と診断されていたという。

 ニッカネン氏は1982年に18歳にして初めてW杯の総合優勝を達成し、スキージャンプがアイスホッケーやフォーミュラワン(F1、F1世界選手権)と並ぶ人気スポーツである母国で生きる伝説となっていた。1984年のサラエボ冬季五輪で金メダルと銀メダルを獲得すると、4年後のカルガリー冬季五輪では個人2勝と団体1勝を挙げ、一大会で3冠を達成した五輪史上初の男子選手となった。

 しかし、引退後の約25年間ではアルコール依存症による友人や妻への暴行事件が何度も報道され、選手としての輝かしいキャリアには傷がついた。当時41歳だった2004年には、指綱引き勝負で負けた後、酒に酔った上でのけんかで友人をナイフで刺す事件を起こし、フィンランドの裁判所から禁錮2年2月を言い渡された。

 さらに保釈されたわずか数日後には、5人目の妻のメルヴィ(Mervi Tapola-Nykanen)さんに暴力を振るって再び逮捕された。一緒に2度の結婚生活を送ったメルヴィさんに対しては、その後もナイフを突きつけた揚げ句にガウンのひもで窒息させようとした事件を起こし、禁錮16月の判決を受けて2009年のクリスマスは獄中で過ごすことになった。

 1991年に現役を引退した後、ニッカネン氏は歌手に転向して1992年にはアルバムがフィンランドで大ヒットした。ほかにもナイトクラブで男性ストリッパーになったり、テレホンクラブで働いたりもしていた。

 こうした数々の騒動がありながらも、ニッカネン氏は母国の宝として敬われ、その破天荒ぶりは、批判の声と同時に世間の同情も引き寄せた。(c)AFP/Sam KINGSLEY