【12月21日 AFP】今から100年前の1918年12月25日、ある大胆なフランス人実業家が世界初のエアメール便の配達を開始した。フランス南西部の町トゥールーズ(Toulouse)とスペイン北東部バルセロナ間での航空郵便サービスだ。

 この冒険が幕開けとなり、「アエロポスタル(Aeropostale)」として知られる同社の先駆的なパイロットらは間もなく、アフリカのモロッコやセネガル、後に中南米へと航空郵便の配達を広げていった。

 定期航空郵便の構想は、産業界の先見的なリーダーだったピエールジョルジュ・ラテコエール(Pierre-Georges Latecoere)により、第1次世界大戦末期の数か月の間に生まれた。だがこれを成功させるためには、それまでのものよりも効率的な飛行機の建造が必要だった。

 飛行機にはまだ高性能の計器は搭載されておらず、密閉された操縦室さえなく、頭を風雨にさらしたままパイロットが目視で操縦していた時代、その構想は無謀以外の何物でもないように見えた。

■「狂気」と「理不尽」

 2010年の書籍「アエロポスタル」によると1918年のクリスマスの日、サルムソン(Salmson)社製の複葉機がバルセロナへと出発したとき、ラテコエールはパイロットのルネ・コルネモン(Rene Cornemont)の後ろに座った。手紙や小包を乗せたこの便の飛行時間は2時間20分だった。民間航空郵便サービスの誕生だった。

 それから9か月後の1919年9月、爆撃機として設計されたブレゲー14(Breguet 14)を使用して、元戦闘機パイロット、ディディエ・ドーラ(Didier Daurat)の指揮下でフランスと当時植民地だったモロッコ間の航空便が開始された。

 しかし1920年10月に墜落事故が起き、同社は初めてパイロットを失った。その後数か月の間にも、死者を出す事故がさらに続いた。当時のメディアは「狂気の沙汰」「理不尽な犠牲」と書き立てた。

 それでも航空機と同社は進化を続けた。1923年末にはコンパニー・ジェネラル航空会社(Compagnie Generale d'entreprises aeronautiques)と名乗るようになっていた同社は約100機を擁し、手紙300万通と冒険好きの乗客1344人を空輸した実績を挙げていた。

 国際航空郵便の伝説的人物の一人は、仏作家アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(Antoine de Saint-Exupery)だ。1920年代後半に当時スペイン領だった南モロッコのジュビ岬(Cape Juby)にあった飛行場で勤務中に、デビュー小説「南方郵便機(Courrier sud)」を書き上げている。

 大西洋とサハラ砂漠の黄土色の砂丘の間にあるその場所で、サンテグジュペリはサハラに墜落した飛行機のパイロットが少年と出会う作品「星の王子さま(Le Petit Prince)」の舞台を見つけたのだ。(c)AFP/Pascale JUILLIARD