【12月29日 AFPBB News】白木作りの「宮型霊きゅう車」が、東京・大田区の池上本門寺の近くを駆け抜ける。瓦ぶき屋根の寺院、昔ながらの商店街、しゃれた住宅が立ち並ぶ坂道。なめらかなブレーキ操作と安定した走りを見せる運転手は、居住まい正しくシートに深々と座りハンドルを握る。都内を中心に20営業所を展開する、業界大手の東礼自動車(TOUREI)が所有する26台のうちの1台だ。

「宮型霊きゅう車」とは、寺院建築などに見られる唐破風をあしらった輿(こし)のある霊きゅう車のことだ。屋根を外し、後部の長さを継ぎ足すなど改造した大型乗用車に、木材で組み立てた宮を載せる。ひつぎを納める「宮」には極楽浄土を表す精密な彫刻が施されたり、金箔(きんぱく)や漆で覆われたりと、職人の技が光る。「走る寺院」さながらだ。

 50代の男性運転手は、霊きゅう車を20年以上運転してきたベテラン。「亡くなり方や年齢、ご遺体の状態などによって、施主様の様子も一通りではありません」と恭しく話す。「どのように接したら良いのか、現場で仏様から教わるようなものです」

 車内で泣き崩れる人もいれば、緊張が解けたのか開口一番に車中での喫煙許可を求める人や、親戚の愚痴を言う人、故人との思い出を語る人…。施主たちは、霊きゅう車の中でさまざまな胸の内をさらけ出していく。

東京・大田区の東礼自動車城南営業所の宮型霊きゅう車。磨き抜かれた車体に「宮」が映える(2018年11月14日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■「宮型」vs「洋型」

 宮型のルーツは、遺体を輿に入れて担いで送った「野辺の送り」だとされる。交通網の発達や社会の変化に応じて、輿の葬列は宮型霊きゅう車に姿を変えていった。金色に輝く絢爛(けんらん)な「金沢型」、ひときわ宮が大きく高級木材の黒檀をぜいたくに使った「名古屋型」など、地域色を競い合った時代もあったという。

 こうした、きらびやかな霊きゅう車を都会で見かけなくなって久しい。かつては、遺体を乗せてクラクションとともに荘厳に出棺する様子は、故人を送り出す儀式のフィナーレに欠かせないものだったが、一見して霊きゅう車と分かる目立つ外観が、住宅地で敬遠されるといった事情もあるようだ。

 かつては個人宅で営まれていた葬儀が、葬祭場で行われるようになった。葬祭場の近隣住民とのあつれきを避けるために、人目を引く宮型よりも目立たない「洋型霊きゅう車」が好まれる傾向があるという。「洋型」とは、宮型同様に改造されるが装飾のない黒い屋根だけのタイプのことだ。

 東礼自動車では、保有する212両の霊きゅう車のうち26両が宮型だ。同社でも宮型霊きゅう車の出番は減っており、現在の稼働率は3パーセント程度。それでも、いつでも出動できるように整備・点検を怠らない。同社の城南営業所(大田区)にも、丁寧に磨かれた2両の宮型が待機している。

 宮型にかかるコストも、洋型に比べてはるかに高くつく。価格は1台あたり1000万円を下らないことも多く、金箔や漆などを使用しており維持費もかかるため、宮型を保有しない事業者も増えた。しかしその一方で、東礼自動車のように宮型霊きゅう車を大切に思い、半ばコスト度外視で手放さずにいる事業者もわずかながら存在する。

「宮型は、日本の葬送文化と伝統の象徴なんです」。全国霊柩自動車協会(東京・新宿区)部長の勝基宏さん(57)はそう語る。死出の旅を見送る気持ちが、職人技の粋を凝らした宮に込められているのだ。

全国霊柩自動車協会が作ったチラシ。「宮型」の復権を目指す(2018年11月22日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■「輿に乗って黄泉(よみ)の国へ」

「おくる心を大切に。貴方も輿に乗って黄泉(よみ)の国へ」。宮型霊きゅう車の普及を進める同協会が作成したチラシに印刷されている文言だ。実際には、宮型の乗り入れを禁止している斎場もある。「昔は宮型を持っていることが、葬儀社の看板でブランド力だったのですが」。同協会の勝さんは振り返る。「大物芸能人の葬儀で宮型がテレビに登場したのは、美空ひばりさん(1989年死去)が最後だったかなあ」

 宮型の出番が減るというすう勢に、一足早く巻き込まれ姿を消した企業がある。最盛期に宮型のシェア7割を誇った米津工房。全国津々浦々で同社の宮型霊きゅう車が走り、1990年代前半ごろまで不動の地位を築いていたが、宮型が売れなくなり、2002年に倒産した。

 米津に残された技術やノウハウは、神奈川県厚木市のジェイ・エフ・シー(JFC、Japan Funeral Coaches)に引き継がれている。米津で営業担当だったJFC社長の今村勉さん(58)が宮型の工法を知り尽くした職人を率いて、倒産した後に設立した。JFCの社員12人のうち、米津の技術を受け継ぐ4人が在籍。「大工仕事から鉄の加工、車のメカニック。どれが欠けても完成しない」

 実際のところ、同社で製造する年間約50台の霊きゅう車のほとんどは、上に宮がついていないタイプの洋型だ。宮型は5〜6台程度あるが、すでに使っていた宮の載せ替えや補修が多い。最近では、秋田県にかほ市の事業所から「ずっと使いたいから手入れしたい」と依頼を受け、張り切って請け負った。腐食した金メッキ部分を交換したり、宮の重量で車体後部が下がった部分を補強したりした。

「葬儀を省かずにきちんと執り行いたい地方や、親戚や近所付き合いなど横のつながりがある地域では、宮型は活躍している」と今村さん。宮型への愛着は強く、プラモデルを自ら制作したり、博物館の構想を思い描いたりしたこともあった。「宮型を新たに作りたい」という思いから、会社案内の冊子には主軸製品の洋型より、宮型に多くを割いている。「宮型は極楽浄土への入り口ですから」

 霊柩自動車協会の勝さんの思いも負けず劣らず、熱い。「骨董(こっとう)的価値より、一般道を走ってこそ。門前町や下町など、宮型が似合うところもいっぱいある」。

 勝さんが暮らす埼玉県越谷市では、火葬場への宮型の乗り入れは認められていない。「公道を走ることは禁止されていないのだから、自分が死んだら、宮型で斎場まで乗り付けて、ストレッチャーで運ぶように女房に伝えてますよ」(c)AFPBB News

大事に使われている宮型霊きゅう車を預かる神奈川県厚木市にあるJFCの工場(2018年11月21日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi