父親が他界し、中学校に通い始めたばかりだった長男の趙盛さんは、どうすべきかわからなかった。中学の保護者会を控え、趙盛さんは韓さんに、「学校の保護者会があるが、おばあちゃんは体の具合がよくない、どうしよう?」と相談を持ち掛けると、韓さんは「心配することはない。今後、保護者会は俺が行く」。以来、初級中学の3年間、保護者会はすべて韓さんが出席することとなる。

 趙盛さんが結婚した年、建物が朽ちかけていた。韓おじさんは資金を出して家の設計から職人探し、材料の手配、施工の管理など引き受けた。

 小源村の住人は、韓さんについて「1日や2日よその子の面倒を見ることは簡単だが、20年も続けることはなかなかできない」と感心する。

 しかし、韓さんから見れば、すべては当然のことなのだ。「俺とやつ(趙敏華さん)は兄弟みたいなものだから。やつが死んだら、やつの子どもの面倒を見るのは当たり前だよ」

 趙康さんと趙盛さんは現在、外地で出稼ぎをしている。結婚して子どももできた。2人は心に決めている。「親父さんが年を取って動けなくなったら、今度は、俺らが恩返しをする番だ。親父さんが我々にしてくれたように」(c)東方新報/AFPBB News