【1月6日 東方新報】午前7時。高永起(Gao Yongqi)さんと妻は、中国・河北省(Hebei)臨城県(Lincheng)趙家崇(Zhaojiachong)小学校で、教室と庭の掃除をすませ、児童が登校してくるのを待っていた。太行山脈(Taihang Mount)の山村の教師夫婦はここを守り続けて34年になる。

 高先生が1984年に軍隊を除隊し田舎に帰ってきて間もなく、時の校長が訪ねてきた。「村の学校は教師不足。村に残って教師をしてほしい」と言う。

 当時、趙家崇小学校には児童が約60人いた。教師は校長1人だけ。すべての授業を校長がやっていたが、50歳を過ぎて定年が近づいていた。

「校長の言葉を聞いて、子どもたちが、教師がいないために大学に行けないようなことがあってはならないと思ったのです」と高先生。趙家崇は太行山の奥深いところにある。周囲を山に囲まれ、水は不足しており、土地も痩せている。「子どもらが山を出たいなら、まずは教育を受けさせなければならない。教師がいなければどうにもならない。自分は大学に行けなかったが、児童らを育て、大学に行かせることはできる」と考えたという。

 当時21歳の高先生は試験を受け、正式な教員となった。村外れの高台にある校舎は、村人らがれんがを積み上げて作った建物だ。高先生と校長がそれぞれ一教室ずつを受け持った。

 校長は1988年に定年退職し、学校には、高先生と60数人の生徒が残された。高先生は家で農作業をしていた妻を学校に呼びよせた。講義の代役を一定期間務めた後、妻も試験に合格し、高先生とともに趙家崇小学の正式な教員となった。