【11月29日 AFPBB News】園庭で遊ぶ子どもたちのはしゃぎ声が、静まり返った講堂に響く。3人の大人が語る子どものころの虐待体験に、約80人の聴衆は息をのんで耳を傾けている。11月中旬、東京・大田区の児童養護施設で行われた講演会の一場面だ。

 3人はいずれも40代。子どものころに親などから虐待を受けた経験を持つ。成長した今も、当時の経験や記憶に苦しめられている点で共通している。写真家の長谷川美祈(Miki Hasegawa)さん(45)が児童虐待に焦点を当てた写真集「インターナルノートブック(Internal Notebook)」を通じて知り合い、この場に集まった。

 写真集のタイトルに込められているのは、「心の叫び」だ。養護施設に入所している子どもと職員の間で交わされた交換日記「インターノートブック」をもじっており、表紙もその日記から使った。また、成長してからの周囲に理解されない苦しみを日記や殴り書きのメモに残している人も多く、貴重な役割を果たしている日記の役割も重ねている。

 全184ページ。「ダミーブック」と呼ばれる手作り本の表現方法で、各ページをのりで貼り合わせ、背を糸でかがっている。読み進む覚悟のある人だけがページをめくればいいように、両開きの写真ページの中にそれぞれのエピソードが記されている。

児童虐待をテーマにした写真集「インターナルノートブック」を手にする写真家の長谷川美祈さん(2018年10月30日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■虐待の傷は時とともに癒えない

 写真集は昨年11月に完成し、制作したのは66冊だけ。児童憲章が1951年に定められてから66年が経過したことに合わせた。

「児童は、人として尊ばれる。/児童は、社会の一員として重んぜられる。/児童は、よい環境のなかで育てられる。」

 母子手帳に記載されている児童憲章の理念を、改めて社会に問いかけたい。その思いから数字にこだわった。

 写真集の前半には、過去約30年の間に起きた子どもの虐待死事件9件を、現場写真や裁判の記録、死亡した児童が書き残した言葉などを収載。後半は、大人になった当事者8人のポートレートを中心に、幼いころのアルバムや気持ちをつづったメモなどの写真のほか、長谷川さんによる撮影対象者へのインタビューを含む。後半に多くのページが割かれ、虐待から生き延びたはずの子ども時代が、大人になった今もなお続いていることを感じさせる。

 児童養護施設で行われた講演会に集まった3人も、今も当時の記憶に苦しむ当事者だ。幼少期から実母の激しい暴力にさらされ、成人後も心理的に支配されてきたというサクラさん(44)、幼い弟を実父からの暴力で亡くした橋本隆生さん(40)、実母が次々と男性を迎え入れる家庭で養父から暴力と性的虐待を受けたヤマダカナンさん(41)だ。

「インターナルノートブック」に掲載されたサクラさんのポートレート(2018年10月30日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■摂食障害などに苦しむ、原因は母の暴力:サクラさん 

 サクラさんは、物心ついたころから母親の暴力にさらされていた。父は遠洋漁業の漁師で不在がち。回っている洗濯機の中に押し込められたり、馬乗りで押さえつけられ粘着テープで口をふさがれたりした。たたかれ、蹴られることが日常だったが、母親が怒っている理由はわからなかった。顔がむかつくという理由で、殴られたこともあった。中学生になったころから暴力が減った代わりに過干渉が続き、心理的な支配は続いた。

 15歳ごろから、風呂場で数時間も皮膚をかきむしる癖がついた。自分を痛めつけると、なぜか気分は落ち着いた。後になっても、摂食障害や多重人格、うつ、メニエール病などに断続的に罹患(りかん)し、最近まで治療に通っていた。

 写真集の中のサクラさんは、少女時代にそうしたように痩せ細った腕に爪を立てている。手の甲の筋や、曲げられた指。力を込めてかきむしっていることがうかがえる。また、ぬいぐるみを抱きしめる子どものような姿もある。母親は、幼い娘がぬいぐるみと遊ぶのを禁じたという。

「インターナルノートブック」に登場した橋本隆生さん(2018年11月1日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■必死の訴えで児童養護施設に入所:橋本さん

 当事者3人のうち唯一、顔を出している橋本さんは、壁を背に立ち、まっすぐにレンズを見つめている。穏やかな表情だが、静かに悲しみをこらえているようにも見える。

 父親の暴力から逃れ、母と弟と3人で隠れ住んだアパートでの2週間が、子ども時代の幸せな記憶だ。しかし、間もなく父に居場所を突き止められ、母親は夜の公園で殴り倒され、そのまま逃げ去った。

 今度は、父子家庭になった。3歳だった弟は弁当を残したことで父から殴られた末に、湯を張った浴槽に閉じ込められた。自分が発見した時、弟はおぼれ死んでいたが、事故として処理された。

 父からの暴力はやむことなく、再婚した継母からも暴力を振るわれた。中学生になると、家で食事を食べさせてもらえず万引きするようになり、何度も補導された。

「家に戻されるくらいなら、これから人を殺してくる」。どうしても家に帰りたくなくて、児童相談所の職員に必死に訴えた言葉だ。このことで、ようやく児童養護施設に入所することができた。施設を出てからは、転職を20回以上繰り返した。

「インターナルノートブック」に提供されたヤマダカナンさんの子どもの頃の写真(2018年11月1日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■母の再婚相手から性的虐待受ける:ヤマダさん

 写真集に提供した家族写真は、海辺の景勝地で撮られた母親とのツーショット。今にも駆けだしそうな幼いヤマダさんの手をつなぎ止めている母親の顔は白く塗られている。長谷川さんの判断で、ヤマダさん同意のもと白抜きにした。

 ヤマダさんは、母親と幼少時に行った「広いお風呂と大きなベッドのあるお城のような建物」を思い出す。父ではない男と、母と3人で行った先はラブホテルだった。「生活のために男に頼らないと生きていけない」と、母は絶えず違う男を家に招き入れた。男たちは、酒やギャンブルにおぼれ、時に暴力を振るった。

 ヤマダさんが10歳のころ、母の再婚相手から性的虐待を受けるようになったが、母に気づいてもらえなかった。勇気を振り絞って打ち明けると一緒に家出をしてくれたが、母の妊娠が判明。再婚相手のもとへ帰ることになり、小学生にして絶望という感情を知った。

「殺したい」と母の再婚相手への憎しみを募らせたが、「あんなやつを殺して自分が刑務所に入るなんて」と踏みとどまった。漫画本を読みふけって空想の世界に助けを求めた。

■「虐待は誰にも起こりうる」という不安:写真家の長谷川さん

 写真集を制作した長谷川さん自身は、虐待の当事者ではない。ただ、娘(9)の出産直後から「虐待してしまうかもしれない」と、わけもなく不安にさいなまれた。母乳を飲んでくれない娘にいら立ち、自分自身の母としての適性を疑った。「今思えば、産後うつだったのかも」

 小さくか弱い存在は、「死が隣り合わせ」という感覚を長谷川さんに常に意識させた。「わが子の生死を握る、絶対的な存在である母としての自分。最悪のことをいつも想像してしまう」

 産後うつのような状態でさまざまな思いを巡らせているうちに、子どもへの虐待は、一部の非道な人間がすることではなく「誰にでも起こりうることなのではないか」と感じるようになった。自分が虐待をしないためにも、知らなければならない。こうして、写真集への取り組みが始まった。

 虐待による子どもの死を防げなかった事件の検証・報告の閲覧や裁判の傍聴、犯行現場を訪ね歩くことから始めた。家族が寝静まってから、ひとりで見直す写真や資料を前に、怒りと悲しみで涙があふれた。感情が先立つようでは、このテーマに正面から立ち向かうことはできない。関連する法律の勉強会に参加したり、電話相談員の講習を受けたりした。

写真家の長谷川さんが訪ね歩いた事件現場の一つ、横浜市内の雑木林。木彫りの地蔵には犠牲になった児童の名が刻まれていた(2018年11月8日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■「誰もが見ていなかった」虐待の痕跡

 長谷川さんが訪ねた現場は、さまざまだ。6歳女児の遺体が遺棄された横浜市の雑木林は、散策を楽しむ人などで日中は往来が途切れない。このほかにも、写真集には子どもの監禁に使われたペット用ケージが放置された河川敷や高級住宅街の一軒家、ありふれたアパートなどの現場写真が含まれている。それぞれ違っているようで、いずれも、子どもの異常な泣き声が周囲に聞こえていてもおかしくない点が共通している。

「誰もが気付けたはずの場所で、誰もが見ていなかった」と長谷川さん。こうした現場は、見逃された虐待の痕跡だ。

 犯罪の異常さが注目されがちな児童虐待事件だが、「そこに至るまでの過程はどうだったのか」と長谷川さんは問う。新しい命を授かり、産む決断をしているからには、新生活に寄せる思いは加害者となった親にもあったはずだ。

「親になるというスタート地点では、のちに虐待が始まる家庭もそうではない家庭もあまり変わらない」。写真集には、母親たちが几帳面につけた育児手帳の記録や、遊園地のアトラクションの前でピースサインのポーズを取っている家族写真も収録されている。

講演会で体験を語った(左から)サクラさん、ヤマダカナンさん、橋本隆生さん(2018年11月11日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■「これ、私なんです」 

 サクラさん、橋本さん、ヤマダさんの3人は、写真集の完成を記念して開かれた写真展で顔を合わせた。顔が特定されないように撮影されたポートレートにもかかわらず、3人がそれぞれに、誰からともなく「これ、私なんです」と名乗り合った。

 長谷川さんという、受け止めてくれる存在を得て、3人は視線が少しだけ外に向いた。「自分のような思いをして苦しんでいる人の力になりたい。そのためにできることは何だろうか」と考えるようになった。

「当事者でもある自分たちが声をあげることで、虐待を受けた影響で苦しんでいる人たちが生きていくための手がかりになりたい」

 子どものころに受けた虐待でこうむった心の傷は、成長とともに癒えるわけではない。3人のように大人になっても苦しんでいる人は少なくない。現在の不遇を親や過去の出来事に転嫁しているのでないかと、さらに自分自身を責めさいなんでいく。

 大人になった虐待被害者への相談窓口が少なく、社会の理解が進んでいない現状に3人とも生きづらさを感じていた。生い立ちも虐待の背景もそれぞれ違う3人が出会い、「インタナリバティ(internaReberty)」という名のプロジェクトグループを立ち上げた。写真集のタイトルの一部と、自由を意味する「リバティ」、反応の「レスポンス」の3語を組み合わせた造語。ブログなどインターネットでの情報発信のほか、当事者視点の意見などを発表する勉強会に参加したり、自分たちの経験を語る講演会活動などを行ったりしている。

「生まれた家も時代も悪かった」と、母親の暴力にさらされたサクラさんは言う。口の中に手を突っ込まれ、のどの奥からの出血が止まらずに病院を受診した際、小児科医は警察に通報せず、別室で母から聞き取りをしただけだった。橋本さんの弟の死は事故と扱われ、父が殺人罪に問われることはなかった。

 自分を対象に家庭内で繰り広げられる暴力が、サクラさんと橋本さんにとっては「日常」だった。「うちは何かおかしい」と気付くまでに、その後も数年を要した。

 子どもを虐待している家庭は、外部との接点が遮断されていることが多いという。「いま虐待に遭っている子がいるとしたら、早くSOSを出して、何とか助けを求められるように」。当事者の3人はそう考えている。

「自分も虐待されていた」。告白した男性のハンカチを握りしめる手にそっと触れる(2018年11月11日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■出会いが後押し、やっと「地に足をつけて生きる」

 作者の長谷川さんにとっての一番の成果は、写真集そのものの評価よりも、当事者同士や支援団体など「出会いがつながったこと」。

 3人が自発的に当事者グループを結成したことは特に予想外の喜びだといい、長谷川さんも活動を共にしている。他の撮影対象者の中にも、音楽や絵などの表現に胸の内を託し始めた人もいるという。

 橋本さんは現在、2児の父だ。今の自分は、亡き弟に生かされていると感じる。子育てで悩むこともあるが、「自分が親からやってほしかったことをやればいいんだ」と自分に言い聞かせる。今年、公園で別れたきりの実母とも再会を果たした。

 漫画家のヤマダさんも2児の母。妊娠中の葛藤をつづった作品「母になるのがおそろしい」には、実母への愛憎を込めた。仕事にのめり込むことで、母のように決してなるまいと闘ってきた。かつての死にたいという思いは消え、今は子どもの成長を見届けたいと願っている。やんちゃ盛りの息子たちを抱きしめると、かつての自分を抱きしめているような気持ちになる。

 サクラさんは、昨夏に精神科の治療を終え、今年になって復職した。実母の血筋を残したくないと、子どもを持つつもりはない。自分の戸籍を分離したことで、いくらか心が軽くなった。講演会に来た引きこもり経験のある男性の「今ようやく地に足をつけて生きている」という言葉に、「私もそう。この年になって」と、はにかみながら応じた。

写真家の長谷川美祈さんは、被写体となる人が緊張をほぐせるよう目の高さでレンズを構えない中判カメラを好んで使う(2018年10月30日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■昨年度の児童虐待相談件数は最多 1990年の統計開始以来

 11月は、厚生労働省が定めた「児童虐待防止推進月間」だ。昨年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待の相談・対応件数(速報値、8月30日発表)は、統計を取り始めた1990年以来最多の13万3778件だった。

 当事者たちが今も必死に生き続ける姿を見せる「インターナルノートブック」は、「親以外の社会の大人たち」にも、責任の一端を担うことを求めている。虐待に苦しんでいる子どもが身近にいる可能性だけでなく、助けが必要な母親もいるかもしれないのだ。

「今、お母さんの人、1人で頑張らずに周りに助けを求めて下さい」

「産まなければよかった」という実母の言葉が、今なお心に重くのしかかっているという女性からのメッセージだ。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

虐待当事者が子どものころに書いた絵。「インターナルノートブック」より(2018年10月30日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi