【11月6日 AFP】自転車ロードレースのツール・ド・フランス(2012 Tour de France)の2012年王者ブラッドリー・ウィギンス(Bradley Wiggins)氏は、自身の医療記録がロシアのハッカー組織ファンシー・ベアーズ(Fancy Bears)に公開された当時を振り返り、名誉失墜と一連の報道で妻が殺されかけたと告白した。

 英国出身のウィギンス氏は2011年、2012年そして2013年の三大ツール(グランツール)の前に禁止薬物のトリアムシノロン(triamcinolone、ステロイドの一種)を治療使用特例(TUE)の許可を得て摂取。ウィギンス氏は、5日付の英紙ガーディアン(Guardian)の記事で、TUEに関する医療記録の詳細が流出してメディアの攻撃を受けた際に、いっそのこと殺人罪で裁判を受ける方がましだと感じていたと伝えられた。

 ロンドン五輪の個人タイムトライアルでも金メダルを獲得するなど輝かしい活躍を見せたウィギンス氏は、TUEの記録が暴露されたことに続き、優勝した2011年のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネ(Criterium du Dauphine)でチームスカイ(Team Sky)から同じ薬物が入っていた小包が届けられていたことに関しても、英国反ドーピング機関(UKAD)から14か月にわたり調査を受けた。しかしながら、スカイの医療記録が行方不明になっていることから疑惑に関する結論が出ず、UKADは調査を終了した。

 一連の騒動によって、ウィギンス氏は妻のキャス(Cath)さんをはじめとする家族が大きな打撃を受けたとして、「人々は勝手な解釈を並べ立てた」「家族がひどい目に遭っている姿を見るのは、本当につらい。そのことで、妻(キャス)が殺されかけた。彼女はリハビリ生活を余儀なくされ、今は私が家で対処している。妻はそううつ病になり、面目を失うことにおびえ、人々に常に見られているという恐怖心を抱くようになってしまった」と話した。

 また、トラックでも五輪で4個の金メダルを手にしているウィギンス氏は、「いっそのこと誰かを殺した方が、まだ適切な権利を享受できただろう」と感じたという。

「その方が余計な記事が出ることもなく、公平な裁判が受けられる」「有罪か無罪かはっきりしただろう。不正の証拠が全く見つからないような場所でないのなら」 (c)AFP