■前線の女性たち、あの有名スパイも

 女性は国内戦線で働くことが多かったが、英国では陸軍婦人補助部隊(WAAC)に所属し、看護師、機械工、調理師、救急車の運転手などの職を務めた女性も8万人以上いた。

 また兵士やスパイとして前線に送られ、象徴となった女性もわずかにいた。最も有名なのはオランダ生まれの踊り子マタ・ハリ(Mata Hari)で、男性を誘惑し、スパイ活動を行っていたが、大戦中にフランス軍により銃殺刑に処された。

 一方、英国の看護師エディス・キャベル(Edith Cavell)は、ベルギー・ブリュッセルで、敵味方の区別なく兵士の命を救ったことで知られている。キャベルはドイツの軍事法廷で敵軍を支援したとして有罪となり、1915年10月12日に銃殺刑となった。

 戦闘に参加した女性もわずかだが存在する。

 ドロシー・ロレンス(Dorothy Lawrence)は野心にあふれる20歳のジャーナリストで、男性になりますまして英陸軍の検査を通過し、女性で唯一入隊を果たした。だが、仲間の兵士の身の安全を懸念し、わずか10日で出頭した。

 ロシア女性の中には、愛国心と単調な毎日から抜け出したいとの思いから、戦闘に参加した女性がいた。その多くは男性の格好をして加わったが、何人かは女性であることを隠さなかった。中でも有名な「婦人決死隊」は、25歳だった農家出身のマリア・ボチカリョーワ(Maria Boshkareva)が、ロシア皇帝の許可を得て結成した女性部隊で、数百人の女性が参加していた。(c)AFP/Janet Mcevoy and Pascale Juillard