第1次世界大戦の遺品、5家族が語る思い出 終結から100年
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■祖父の左腕
ヨアヒム・モーア(Joachim Mohr)さん(56)の祖父は、第1次大戦中にフランスのベルダン(Verdun)近郊で爆発した手りゅう弾によって、左腕の肘から下を失った。子どもの頃、大好きな祖父に腕がないことに「興味をかき立てられると同時に怖かった」と言う。
「5歳か6歳だった頃、祖父は左腕を操り人形のように動かして楽しませてくれた」。1978年、モーアさんが16歳になろうとしていた時、祖父が亡くなった。その時になって初めて、祖父が前線で経験した恐怖を書き留めていたことを知った。
「ノートを読むと、戦争が恐ろしいものだということか分かる」と、モーアさんは語った。
片腕をなくし、学歴もなかった祖父のマクシミリアンさんは第1次大戦後、コンシェルジュとして働き、低賃金ながらも5人の子どもを育て上げた。
■ベトナムの家族写真
ベトナムの若き修理工だったダン・バン・コン(Dang Van Con)さんは、第1次世界大戦中、フランスの植民地だったインドシナから徴兵された何万人ものうちの一人だった。
7人の孫たちに残されたコンさんの思い出の品は、切手ほどの大きさの写真1枚だけだった。1954年にベトナム独立同盟(ベトミン)がフランスを追い出すと、コンさん家族はコンさんがフランスに徴兵された経験があることから、差別を受けた。
ベトナムは当時、革命指導者ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)がトップについており、フランス植民地時代とのつながりは死を意味していた。
このため、家族はコンさんの本、手紙、軍服、写真をすべて処分した。ただ、1953年にいとこの結婚式に出席した時のコンさんの白黒写真だけは取っておいた。
「まるで文化大革命のようだった。フランスと関係のあるものはすべて燃やさなければならなかった」と、75歳になるコンさんの年長の孫カオ・バン・ザン(Cao Van Dzan)さんは、ハノイのコンさん家族の暮らす家でAFPの取材に応えた。
コンさんは、ハノイ近郊の中流階級出身の熟練した修理工だったが、自宅に戻った時にはグエン朝の爵位を授けられていた。これによりコンさん家族の社会的地位が高まった。
ザンさんは、家族の記念の品を破棄しなければいけなかったのは残念だが、祖父が一生懸命働いてくれたおかげで、子孫である自分たちが海外で勉強し、働くことができたと指摘する。
「祖父を誇りに思う」とザンさんは言う。「祖父がフランスに行ったおかげで、その子どもや孫たちが文化的な生活を送れた」 (c)AFP