【9月25日 AFP】2019年のラグビーW杯日本大会(Rugby World Cup 2019)開幕まであと1年を切った。ここでは、これまでの日本代表のW杯をめぐる歴史の中でも、特に印象的な出来事を五つ振り返る。

■W杯の洗礼

 ブレイブブロッサムズ(Brave Blossoms、日本代表の愛称)は、1987年の第1回ラグビーW杯から全大会に出場している。しかし、チームは大会初戦で米国に18-21で惜敗すると、続くイングランド戦で60点を奪われて大敗し、後に続く苦難の歴史の一端を早くも味わった。

 1991年大会では、強豪とはいえないジンバブエに52-8で大勝し、失われかけていた自信をなんとか立て直すことに成功する。しかし、これはぬか喜びに過ぎなかった。この4年後にアジア王者を待っていたのは、過酷極まりない現実だった。

■ブルームフォンテーンの悪夢

 1995年大会で日本代表が味わったのは、3回目の悪夢だった。チームは初戦のウェールズ戦、続くアイルランド戦でともに50点以上を取られて敗れると、ブルームフォンテーン(Bloemfontein)で行われたオールブラックス(All Blacks、ニュージーランド代表の愛称)との試合では、17-145で歴史的な惨敗を喫した。

 当時プロ化を推し進めていた強豪国の一つ、ニュージーランドになんと21トライを奪われ、格の違いを見せつけられる惨敗だった。後に日本代表の指揮官に就任したエディー・ジョーンズ(Eddie Jones)ヘッドコーチ(HC)は、当時の日本を「ジョーク」とこき下ろしたが、エディーHCはこの20年後、自らの手でそのチーム評を打ち破る戦いを見せることになる。