【9月13日 AFP】1993年に調印の「暫定自治宣言(オスロ合意)」から13日で25年となった。四半世紀を経た今、パレスチナ人のアベド・ズガイエさん(30)が合意の遺産に対して抱く気持ちは、他の多くの若者と同じ──「オスロ合意は間違い」だ。

 1993年9月13日、当時のヤセル・アラファト(Yasser Arafat)パレスチナ解放機構(PLO)議長とイツハク・ラビン(Yitzhak Rabin)イスラエル首相が米ホワイトハウス(White House)で協定に調印したとき、ズガイエさんはまだ5歳だった。

 エルサレムの繁華街で服飾店を営むズガイエさんは、店内のカウンター越しに、「この土地に対するわれわれの権利主張を阻止するもの」とオスロ合意について語った。

 和平につながる画期的な協定となるはずだったオスロ合意だが、その後に成人したパレスチナ人の若者たちの多くは、イスラエルの占領を固定化する単なる裏切り行為と捉えている。

 ズガイエさんも、イスラエルがその境界沿いにパレスチナ国家の設立を認めることは決してないと考えているという。

 1993年以降、パレスチナ人はヨルダン川西岸(West Bank)におけるイスラエル入植地の絶え間ない拡大を目の当たりにしてきたのだ。

■別の形での占領

 紛争の火種となっているヨルダン川西岸の都市ヘブロン(Hebron)では、約20万人のパレスチナ人のなかで数百人のイスラエル人が暮らしている。彼らは軍隊によってしっかりと保護されている。

 観光業界で働くアブダラさん(27)は、「オスロ合意がこの占領を合法化している」と語る。多くのパレスチナ人にとって、パレスチナ自治政府(Palestinian AuthorityPA)のイスラエルとの治安に関する調整はまさにそのいい例だ。

 こうした治安調整は、イスラエル人に対する襲撃の阻止に役立っているとみられているが、同時にヨルダン川西岸地域の安定維持として、支持率の低いパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス(Mahmud Abbas)議長の支えにもなっている。

 自治区の現状について、アブダラさんは「協定は、われわれに自治政府をもたらしたが、その自治政府は別の形でわれわれを占領している」と述べる。そして報復を恐れ名を明かすことを拒んだ別の若者も、「その占領とイスラエルの占領とを区別する唯一の違いは、彼らの話す言葉がアラビア語だということだ」と続けてコメントした。