【9月18日 AFPBB News】舞い上がっていくシャボン玉を見ると、心がふわりと軽くなる気がする。子どもたちははしゃぎ、大人はシャボン玉で遊んだ子ども時代を懐かしく思う。

「シャボン玉アーティスト」こと杉山弘之(Hiroyuki Sugiyama)さん(71)、弟の輝行(Teruyuki Sugiyama)さん(68)兄弟が現れる場所では、誰もがシャボン玉の魔法にかかってしまう。

魚のおもちゃを入れたシャボン玉を見せる杉山弘之さん(2018年8月16日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■子どもも親も熱狂のシャボン玉ショー

 弟の輝行さんが舞台を縦横に動き、次から次へとシャボン玉を飛ばす間、兄の弘之さんが軽妙なトークと解説で大人を笑わせる。そうするうちに、人をすっぽり覆う巨大シャボン玉、雲のように浮かぶ泡など目新しいシャボン玉が次々と生み出され、輝きを放つ。二人が見えなくなるほどの大量のシャボン玉がぶくぶくと増えていき、ステージを埋め尽くした。

 東京・千代田区で8月に行われた、子ども向けワークショップ「シャボン玉ブラザーズのシャボン玉ショー」の一幕だ。ステージ前に吸い寄せられた子どもたちは歓声を上げながら、舞い上がるシャボン玉に手を伸ばしていた。

 シャボン玉を生み出すさまざまな道具も、見ていて飽きない。自作の電動シャボン玉噴射機から網、うちわ、ペットボトル、ビーチサンダルまで。最大の「道具」は二人の手だ。両手の指の間から無数のシャボン玉を吹き出したり、雪の玉をこねるようにシャボン玉をつなげてリボンを作ったり。約30分のショータイムは、まばたきをする間すら惜しく感じられる。ショーが終わると、記念撮影を求める親たちが引きも切らない。

 変幻自在にシャボン玉を操り、その魅力を半世紀にわたって二人でとことん突き詰めてきた。息の合ったコンビネーションを見せる一方、普段は口数は多くはない。

 兄の弘之さんは、しみじみとつぶやいた。「シャボン玉越しに見る、子どもたちの笑顔。その後ろで親たちも喜んでいる。皆の喜ぶ顔を見ると、いい仕事を選んだなと思うんだ」。弟も「理想の仕事」とうなずく。

ビーチサンダルでシャボン玉を吹いて見せる杉山輝行さん(2018年8月16日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■学生時代は理系科目の勉強に没頭 シャボン玉をもっと知りたくて

 兄弟がまだ幼かったころ、祖父はお茶がらとせっけんをまぜて作ったシャボン液を、麦わらを使って吹いてくれた。ありふれた思い出かもしれないが、この時の好奇心と熱意が冷めることなく、現在に至る。幼かった兄弟は、シャボン玉をたくさん飛ばせるように試行錯誤を重ね、役立つ知識を求め理科や数学の勉強に精を出し、共に地元の進学校に進んだ。

 シャボン玉をなりわいとして結びつけて考えるようになったのは、弟の輝行さんが学生だった1965年に出演した視聴者参加型のテレビ番組だった。番組審査員だった作家のサトウハチロー(Hachiro Sato)氏らに、「面白い」と絶賛されたという。

 輝行さんは大学在学中から学園祭などでシャボン玉を使った演出を手がけ、シャボン玉アーティストとして活動するようになる。兄の弘之さんは有名企業に勤め、すでに妻子もいたが退職。弟に合流して会社を設立した。

 弟はシャボン玉の機械の開発に集中する間、兄はシャボン玉を事業として成り立たせるにはどうすればいいかを調べるために毎日のように図書館に通い、経営や税務について学ぶ日々。「家族は食べていけるのか、心配していたと思う」

 好きなことを仕事にしているためか、報酬に対して無頓着になりがちだ。イベントの報酬として15万円を依頼主に要求したところ、値引きを求められた。そこで5万円に下げると、「もっと誇りを持て」と逆に叱咤(しった)されたこともある。

 以来、技能を高めつつプロ意識も維持するために、被災地支援など例外を除き無報酬では仕事を受けないようにした。会社を維持する戦略として、仕事が好調な時でも規模を拡大せず家族経営に徹した。また、一過性の流行で終わらせないために、テレビ出演は極力控え、ショーを中心に全国駆け回ってきた。人気ミュージシャンの舞台演出なども手がけながら、今も全国各地で年間120件ほどのショーをこなす。

 かつては、幾度もギネス記録(Guinness World Records)など記録を達成してきたが、「1番2番はもういい」。今は子どもたちの笑顔を支えにしながらも、シャボン玉への探究心に陰りはない。 

トークと実演、息の合ったコンビネーションを披露する杉山弘之さん(右)と輝行さん(2018年8月16日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

■はかない命のシャボン玉をこれからも

 時代は変わり、コンピューターゲームが子どもたちの遊びの主流になっても、二人の行く先々は子どもたちの歓声であふれている。

「いつの時代も子どもたちは変わらない。手を伸ばしてシャボン玉を触りたがる」と、二人は口をそろえる。美しいものを見て感動する心や、遊びの中に「科学する心」を育みたいというのが、結成当初からの思いだ。

 杉山兄弟によると、シャボン玉は1000分の1ミリで、約45秒の短い命だ。シャボン玉をいかに美しく見せるかに集中し、腐心してきた50年。七色の膜のはかないシャボン玉を精いっぱい輝かせようと、季節や天候、風向きを読みながらシャボン液を調合し、新しいパフォーマンスや道具を考える日々はこれからも続く。

「ときめきがないと、早く老ける。感動することが大事」。二人の少年時代の面影が、見える気がした。(c)AFPBB News

愛犬の名前をつけた自作のシャボン玉噴射機(2018年8月16日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi