■瞑想院に集った仲間たち

 ロンドンを離れ、ビートルズのメンバーは再び結束を強めたように見えた。彼らはここで、50曲近い新曲を生み出した。

 そして、仲間たちもここに集いに来た。歌手のドノヴァン(Donovan)やビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)のマイク・ラブ(Mike Love)、また女優ミア・ファロー(Mia Farrow)と、ジョン・レノンが楽曲「ディア・プルーデンス(Dear Prudence)」の着想を得た彼女の妹、プルーデンスなどだ。

 マッカートニーはサルがおおっぴらに交尾をしているのを見て「ホワイ・ドント・ウイ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード(Why Don't We Do It in the Road? )」を創作。マイク・ラブの存在は、ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ(California Girls)」のパロディー曲、「バック・イン・ザ・U.S.S.R.(Back in the USSR)」の誕生につながった。

 バンドのメンバーは、胃弱のためにベークドビーンズを持ち込みながらも10日で立ち去ったスターを除き、この休暇と瞑想を楽しんだ。マッカートニーは後に「熱いエアパイプの上に浮かぶ羽根になったように感じた」と、瞑想の一幕を回想している。

 当時を知る数少ない地元住民の一人、アジット・シン(Ajit Singh)さん(86)は、北部デラドゥーン(Dehradun)近くで、当時から続く音楽店の経営者だ。レノンのギターを修理し、ハリスンの25歳の誕生日に演奏したという彼は、店を訪れたAFP記者に「彼らは私に対してとても礼儀正しかった。横暴でも何でもなかった」と語った。