■近くて遠いパリ

 人口5万人のボンディには、パリとシャルル・ドゴール空港(Charles de Gaulle airport)を結ぶ高速道路が通っている。ここで生まれ育ったエムバペ選手が、PSGと契約したことはボンディにとって一大ニュースとなった。この機会を逃すまいと、街は高速道路脇の建物の壁にエムバペ選手を描いた巨大なポスターを掲げた。ポスターには「ボンディ、あらゆることが可能な町」とのメッセージが書かれていた。

 だが、サーカー以外では、そのような雰囲気をあまり感じることはできない。ボンディとその周辺地区の失業率は11.8%に上り、パリの7.1%よりもずっと高い。

 ワグイさんと家族が住む団地の外の道路では、舗装の割れ目から雑草が生え、地域の公園でサッカーボールを追いかけている子どもたちは、全員アフリカ系だ。パリ中心部とその近郊地域がどれだけかけ離れているかを浮き彫りにする光景だ。

■代表チームの躍進がもたらすもの

 世論調査で移民への態度が硬化しつつあるフランス社会だが、W杯での代表チームの躍進は「いくらかの肯定的な気運をもたらし、しばらくは人々を結び付けるだろう」とリカルディ氏は述べる。

「だがそれは長続きするだろうか」と同氏は問いかける。

 歴史の答えはノーだ。1998年のフランスの勝利から4年後の2002年、「Black-Blanc-Beur」の神話は崩壊した。当時の大統領選で、極右政党「国民戦線(FN)」のジャンマリ・ルペン(Jean-Marie Le Pen)氏が大躍進。決選投票へと進み、ジャック・シラク(Jacques Chirac)氏との一騎打ちに臨んだのだ。(c)AFP/Clare BYRNE