【6月15日 AFP】英ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert MuseumV&A)は20世紀で最も称賛されている女性画家、フリーダ・カーロ(Frida Kahlo)の絵画やアイテムを集め、彼女の不運な人生を振り返る展示を開催。会期は今月16日から11月4日まで。

 カーロは1954年、47歳の時にメキシコ市で死去。「Frida Kahlo: Making Her Self Up」展では、同市内にある拠点であるブルー・ハウスにあった約200点ものアイテムを展示する。

 彼女は生まれ育った家を、後にアトリエとして使用。またここで彼女は関係を持っていたソ連からの亡命者であるレフ・トロツキー(Leon Trotsky)をかくまった。

「反体制文化とフェミニストの象徴である展覧会は、フリーダ・カーロがどのように自身のアイデンティティを構築していったのかをはっきりと見て取れる」と同展覧会の共同キュレーター、クレア・ウィルコックス(Claire Wilcox)は話す。

英ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で開催される「Frida Kahlo: Making Her Self Up」展の様子(2018年6月13日撮影)。(c)AFP PHOTO / Daniel LEAL-OLIVAS

 同展覧会はドレスやジュエリー、手紙、絵画、家族写真に加え、医療用コルセット、つながった眉を強調するために使用していた化粧品、義足などを集め展示する。

 義足は「より露骨に見えるよう」赤いブーツを履き、中国の刺しゅうが施され、鈴が着けられていると共同キュレーターのCirce HenestrosaはAFPに明かした。「彼女は芸術家だったので、義足も美しくないわけがない」

■健康障害で荒廃

 カーロの健康障害は悲惨だったが、そんな逆境の中でも美点の見つけ方を彼女は知っていた。

 ドイツ人の写真家である父と、メキシコの先住民とスペイン人の両親を持つ母親の間に生まれたカーロ。幼い時にポリオに感染した結果、右脚が左脚よりも短く育ち、最終的にはカーロが死去する1年前に切断することとなった。

 また18歳の時には、下校時に乗っていたバスが電車と衝突。体に手すりが突き刺さったカーロは、背骨を3か所と数か所を骨折した。生殖器もひどく損傷したことにより、子供を産むことのできない体になった。

英ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で開催される「Frida Kahlo: Making Her Self Up」展の様子(2018年6月13日撮影)。(c)AFP PHOTO / Daniel LEAL-OLIVAS

 医学部に進むという夢は打ち砕かれた。しかし療養中には、鏡と特別なイーゼルを使用し、ベッドで自画像を描くことに打ち込んだ。

「芸術家としての素晴らしいキャリアの始まりであると同時に、肉体の衰退の始まりでした」と、2012年にブルー・ハウスで展覧会を企画したHenestrosaは語った。

■違っていて良い

 Henestrosaはカーロとはつながりを持っている。Henestrosaのおばはカーロの知的グループの一人で、鮮やかなメキシコの伝統的なブラウスやドレスをメキシコ南部オアハカ(Oaxaca)州から持ってきてはカーロに渡していた。

 先住民のアイデンティティを強固にするため、1910年から1920年まで行われたメキシコ革命。その革命直後の時代でカーロは、自身のメキシコ人としての価値を表現し、「メキシコ人らしさ」を描きたかった。

 さらに、「彼女は共産主義者で、(そのように描くことで)国民の一人のように感じれた」のだとHenestrosaは明かした。

 しかしカーロの政治的考えは彼女のスタイルにはあまり影響しなかった。

「脚を隠すためにロングスカートを履くようになり、彼女が自身の体と服の関係を築くきっかけとなった」とHenestrosa話し、先住民の衣装は目線を上半身に向けることができたとした。「この展示では、人としてのフリーダ、女性としてのフリーダ、香水好きの彼女、非常に女性らしく、障がいに定義されない彼女を見せたかった」

「若い女性のお手本となる、褐色の障がいを抱えたメキシコ人芸術家。違っていて良いのです」(c)AFP/ Alfons LUNA