【6月20日 AFP】幼い息子たちを寝かし付けようとしていると留守番電話が入った。メッセージの内容に心がずしんと重くなり、デジャブのような感覚を覚えた。頭にぱっと浮かんだのは、「どうか彼が生きていますように、どうか彼が生きていますように」ということだった。

 電話はモスクワ支局からで、ロシア人ジャーナリストのアルカディ・バブチェンコ(Arkady Babchenko)氏が襲われたという内容だった。情報源のロシアのメディアは、地元のジャーナリストの証言を取り上げていた。バブチェンコ氏はロシア政府に批判的だったため殺害の脅迫を受け、ウクライナの首都キエフに逃れて来ていた。

 携帯電話とノートパソコンでフェイスブック(Facebook)を開こうとした私の手は震えていた。証言しているジャーナリストのページには、友人のバブチェンコ氏が背中を撃たれて負傷し、病院に運ばれた、と書かれていた。「病院に運ばれたのなら彼は生きている。助かる見込みもある。どうか生きていますように」と私は願った。

ロシア人ジャーナリストのアルカディ・バブチェンコ氏。ウクライナの首都キエフの独立広場で(2014年1月撮影)。(c)AFP / Vasily Maximov

 だがその瞬間、ウクライナ警察がバブチェンコ氏の死亡を発表したというニュースが目に入って来た。「また、こんなことが起こるなんて信じられない」。警察の広報担当者に電話をかけ、ニュースが事実であることを確認した。それから私は、死亡の第一報を出してもらうためモスクワ支局に連絡した。パソコンで記事を打ち込み始めたが、手の震えが止まらない。こんなことがまたしても起こるなんて信じられない思いだった。

 2年ほど前、キエフ在住でロシア政権を批判していたもう1人の著名なロシア人ジャーナリスト、パーベル・シュレメト(Pavel Sheremet)氏が朝、自分の車に乗り込んだところ、車体に仕掛けられていた爆弾が爆発し死亡した。現場は私の家から500メートルの場所だった。彼は活動的な人で、私の友人のボーイフレンドでもあった。そして、今回だ。

ウクライナの首都キエフで、車体に仕掛けられた爆弾が爆発して黒焦げになった車を調べる警察官ら。この車に乗っていたジャーナリストのパーベル・シュレメト氏は死亡した(2016年7月20日撮影)。(c)AFP / Sergei Supinsky
ウクライナの首都キエフで行われたパーベル・シュレメト氏の葬儀の様子(2016年7月22日撮影)。(c)AFP / Sergei Supinsky

「バブチェンコが殺された」と、ロシアで戦場記者をしていた経験を持つ夫に伝えた。夫は真っ青になり、私が仕事をこなせるように息子たちを寝室に連れて行った。私はキエフのジャーナリスト死亡事件についての記事を書き、発信する仕事に取り掛かった。以前にも似たようなことをやった。警察や政府関係者に電話し、他のメディアのニュースを見ながらフェイスブックの投稿からも目を離さず、原稿を書く。

 仕事をしながら、ふと思った。犯行現場の写真や映像は多数出ているのにバブチェンコ氏の妻が写っていないのは奇妙だ。コメントも発表していない。警察の発表では、同氏がアパートの玄関前で撃たれたとき、妻は屋内にいたという。だが、妻は誰にも何も話していない。同氏の勤務先ウクライナの民放テレビATRにさえもだ。キエフの警察署長は、彼女はショックのあまり話ができる状態にないと説明した。それなら理解できる。そう自分に言い聞かせ、疑問を脇に置き、仕事を続けた。

アルカディ・バブチェンコ氏の殺害現場とされた同氏のアパートの入り口で警備を行う警察官ら(2018年5月29日撮影)。(c)AFP / Sergei Supinsky

 警察がバブチェンコ氏の死亡を発表してから1時間後。警察にコネがあるウクライナ人の元記者が、バブチェンコ氏の遺体のように見える写真をフェイスブックに投稿した。はげ頭の男性が血の海に横たわっている写真だった。その元記者はどこから入手したか明らかにしていなかったが、その写真はすぐにソーシャルネットワークやいくつかのメディアに取り上げられた。

 私はその写真の何かが気になった。アパートの中から撮影したようだ。なぜ、撃たれたばかりの男性に応急処置をせず、写真を撮ったのだろう。そして元記者にこの写真を渡したのは誰なのか。最も考えられるのは、警察の誰かが携帯電話で写真を撮った可能性だ。それにしても、なぜ、この写真が元記者の手に。何かがおかしいと思ったが、やるべきことがたくさんあったので、すぐにこの考えを脇に追いやった。

 真夜中ごろに仕事を終えたが、眠れなかった。バブチェンコ氏に会ったことはないが、彼が殺害されたことは私にとっては個人的な意味を持った。キエフのジャーナリストのコミュニティーはかなり小さく、同業者の暗殺はこたえる。ロシア政府に批判的でキエフに安全を求めてやって来たジャーナリストがまた1人殺されたのだから、なおさらだった。

アルカディ・バブチェンコ氏の「殺害」発表を受け、ウクライナの首都キエフのロシア大使館前に張られた同氏の写真と、その横で警備を行う国家親衛隊員(2018年5月30日撮影)。(c)AFP / Sergei Supinsky

 翌日の職場では、皆むっつりしていた。この殺人事件の真相が明かされることはないと誰もが思っていた。シェレメト氏の事件も未解決だった。そのときは知らなかったが、地元のジャーナリストのグループは当局を信用せず、自分たちで事件を調査しようと、そのための非公開のフェイスブックグループを立ち上げていた。

ウクライナの首都キエフで行われたパーベル・シュレメト氏殺害事件から1年となる追悼集会で、「誰がパーベルを殺した?」と書かれたプラカードを掲げる男性(2017年7月20日撮影)。(c)AFP / Genya Savilov

 首相は真夜中の少し前、今回の殺人事件についてコメントを発表したが、大統領府は沈黙を守っていた。私は報道官に「何らかの意見を表明するのにこんなに時間がかかるのはなぜなのか」と詰め寄り、一触即発状態だった。

 地元のジャーナリストらはフェイスブックで、夕方にキエフ中心部の独立広場(Maidan Square)でバブチェンコ氏の追悼集会を行うとして参加を呼び掛けていた。

 夕方5時、ウクライナ国家保安庁(SBU)が記者会見を開いた。生中継されたので、同僚のサシャ・サボチェンコ(Sasha Savochenko)とテレビで会見の様子を追った。サシャは穏やかで冷静なので、彼が悪態をつくのを聞いたことがない。キエフの記者の中では珍しい性格だ。

 国家保安庁が事件の非はロシア側にあるとの考えを示すと、私は速報を打った。記者会見を録画していたサシャは、国家保安庁の発言を正確に引用できるよう巻き戻してくれた。

 サシャが発言を聞き直していると、モスクワ支局からパソコンにメッセージが届いた。「彼は生きているのか」という編集者からの問い合わせだった。何を言っているのか、全く分からなかった。犯人のことを言っているのか。犯人はまだ生きているのかということなのか。ウクライナの通信社のサイト画面を見て、目を疑った。いま自分が見ているのものは本当なのだろうか。「バブチェンコ氏生存」と書かれていたからだ。

「サシャ!」私は叫んだ。「バブチェンコ、生きてるみたい!」

 サシャは、正気かという目つきで私を見ていたかと思うと、パソコンに映し出された生中継の会見を見て叫んだ。「彼が出てる! バブチェンコが会見に出てるぞ!」

 この言葉を合図に、小さなオフィスは大混乱に陥った。私は新しい速報を打った。私たちは叫び、ののしった。サシャでさえ悪態をついていた。疑いながらも、ぼうぜんとし、あっけにとられ、そして安堵(あんど)もしていた。彼が生きている! 私たちは仕事に追われたが、キーボードを打つ手が追いつかなかった。彼の死はウクライナの国家保安庁が仕組んだことだったのだ。国家保安庁は、ロシアがバブチェンコ氏の殺害を計画しているとの情報を得て、殺害計画を阻止する唯一の方法として同氏の殺害偽装作戦を実施したと説明した。彼自身も、作戦に従ったと話している。

 独立広場でのバブチェンコ氏「追悼」集会は、急きょ「生還」祝賀会に変更された。夕方になると多くのジャーナリストが集まった。私は生還祝いについての記事を書くために広場に行った。誰もが満面に笑みを浮かべていた。抱き合い、バブチェンコ氏の無事を祝うためプラスチックのコップで乾杯し、自撮りをしていた。

ウクライナの首都キエフの独立広場で、アルカディ・バブチェンコ氏の「生還」を祝う人々(2018年5月30日撮影)。(c)AFP / Sergei Supinsky
ウクライナの首都キエフの独立広場で、アルカディ・バブチェンコ氏の「生還」を祝う人々(2018年5月30日撮影)。(c)AFP / Sergei Supinsky

 だが、強い高揚感の中で、疑問と疑念が浮かんできた。ジャーナリストの本能にスイッチが入ったのだ。

 ウクライナの国家保安庁が言うように暗殺計画からバブチェンコ氏を守るために死を偽装したのなら、暗殺計画そのものがロシア政府を悪者に見せるためのでっち上げではなかったと誰に言えるだろう。これほど手の込んだ偽装作戦を行ったウクライナ当局を信頼してよいのだろうか。この件に関する他国の当局の反応は? そして、私たちが書く記事はどうしたら再び世間に信用してもらえるようになるのだろう。

「私たちみんな、フェイクニュースを24時間流し続けていたってわけだよね」と、独立広場を去る際に1人の女性編集者が言った。

 だまされたのはメディアだけではない。ウクライナの首相と外相は今回の「殺人事件」にコメントを発表していた。彼らは誰からもこれが偽装だと知らされていなかったのだ。

 ある政府機関の報道官は、上司に談話を発表するよう促し、草案を提出したが、却下され続けた。憤慨しながらもスピーチ原稿を書き直し、コメントを公表するべきだ、「そうしないと人間味がないと思われる」と訴えた。すると脇に連れて行かれ、実際には誰も殺されていないからコメントは必要ないと教えられた。そこから彼の仕事は、記者たちを相手に時間稼ぎをすることに変わった。

ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領(左)とアルカディ・バブチェンコ氏。首相と外相は知らされていなかったが大統領は同氏の「殺害」が同国の国家保安庁の偽装作戦であることを承知していた(2018年5月30日撮影)。(c)AFP /Ukrainian Presidential press service/ Mykola Lazarenko

 翌日、世界中のメディアで議論の中心となったのは、偽装作戦の意義とバブチェンコ氏がそれに同意した問題だった。おおむね一致していた見解は、今回の一件でジャーナリストの信用が損ねられたということだった。

 一方、私は、違うアプローチをしていれば計略に乗せられなかったのだろうかと考え続けていた。警察が、殺害事件だと発表したのだ。キエフで19年間記者をしているが、警察がこうした事件でうそをついたことは一度もなかった。

 地元メディアも、警察の言葉をただ、うのみにしていたわけではない。少なくとも二つのメディアはジャーナリストを死体安置所に送り込み、バブチェンコ氏が亡くなったときの詳細を調べさせ、同氏が銃で撃たれたことが原因で死亡したという公式書類を確認していた。彼らは何をすべきだったのだろう。死亡証明書を他にも見せろと言えばよかったのだろうか。ジャーナリストの1人は、死体安置所の中まで入ることを許可され、シーツで覆われた同僚の死体を目にしている。これ以上、何をすべきだったのか。遺体に脈がないことを確認すればよかったというのか。

アルカディ・バブチェンコ氏が「殺害」された日の夜に同氏のアパートの前に集まったウクライナ・キエフの報道陣(2018年5月29日撮影)。(c)AFP / Sergei Supinsky

 私がおかしいと感じていたささいな事柄が、急に新たな意味を帯びてきた。だがやはり、どうすればよかったのかは分からない。確かに、バブチェンコ氏の妻はメディアの前に現れなかった。だが、夫が自宅の玄関の前で殺されたのだとしたら、カメラの前に立ちたくないと思うのは心情としては不自然ではない。そう、それに元記者がフェイスブックに投稿した写真もおかしかった。だが、警察官が携帯電話で撮った写真が、警察関係者の友人を通じてその元記者の手に渡ることはあり得る。おかしなことではあるが、暗殺自体を疑うまでには至らない。

 自分たちで今回の殺人事件を調べてみようとしていたジャーナリストのグループは、確かな証拠を握っていた。殺人が起こった夜のバブチェンコ氏の自宅アパートの外の監視カメラの映像を苦労して入手していた。しかし、「暗殺」されたとされる時間帯(当局はバブチェンコ氏が買い物から戻って来たところを撃たれたと発表していた)に同氏の姿は映っていなかった。ジャーナリストたちがさらに詳しく調べようとしていたところで、バブチェンコ氏が「生還した」のだ。

 私たちが皆、一日中だまされていた事実は(控えめに言っても)気分のいいものではない。偽装だと知らなかったとはいえ、それでも不愉快だ。そのような状況が起こることを知っていて、記者としての仕事をするかどうか選択を迫られる状況――記者としての使命を果たし、そうした作戦があることを報じるか、あるいは、作戦に賛同して誰もが死んだと思い込んでいる人物が実は生きていることを世の中には知らせないままにしておくか――には絶対に陥りたくない。

 今回の出来事によって報道の仕事がやりづらくなったことは否めない。キエフの警察が今度また、市内でジャーナリストや政治家に死者が出たと発表した場合、私たちはどうしたらいいのだろう。24時間ニュースを配信する仕事の性質上、100%真実だと裏付けが取れるまでは情報を伏せておくというわけにもいかない。だが、当局の発表には今まで以上にずっと懐疑的になるだろう。これはキエフの他のメディアも同じだ。そうすることで次回、このような偽装作戦が成功するのを阻止することはできるだろうか。正直に言って分からない。私に分かっていることは、私たちなりに努力はするだろうということだ。

このコラムはキエフ支局のアニヤ・ツカノバ(Anya Tsukanova)支局長が、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年6月8日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

ウクライナの民放テレビATRの同僚記者らに出迎えられるアルカディ・バブチェンコ氏(2018年5月31日撮影)。(c)AFP / Genya Savilov