【6月14日 AFP】午前2時ごろトイレに行きたくなり起き上がってみて初めて、米空母が24時間眠らずに動いていることを実感した。

 米海軍の高名な空母「ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman)」で過ごす初めての、そして最後の夜だった。近くのドアがバタンバタンと鳴り続けていて、私を悩ましていた。フラフラしながら2段ベッドから下りた。近くの廊下では乗員が忙しそうに行き来していて、まるで昼間のようだった。

 私たちは米第6艦隊の広報担当官から招待されて、ここにいる。アテネ支局から、命知らずのフォトグラファー、アリス・メシニス(Aris Messinis)、世界中を駆け巡るビデオ・ジャーナリストのウィル・バシロプロス(Will Vassilopoulos)、そして私の3人が参加した。

 乗船許可をもらうために提出した健康診断書は、控え目に言っても徹底的だった。血液型、鎌状赤血球症の有無、破傷風ワクチンの最終摂取日、けが、アレルギー、手術経験、日常生活における飲酒量、喫煙状況まで含まれていた。

 数日後、私たちはギリシャのクレタ(Crete)島にあるソウダ(Souda)空軍基地から米軍のC2A輸送機「グレイハウンド(Greyhound)」に、空母に届ける郵便物と一緒に乗り込んだ。目的地は、地中海東部の非公開とされる場所だ。

 今となってはある程度の場所はわかっているが、とにかく誰にも言えない。

(c)AFP / Aris Messinis

 グレイハウンドのパイロットは、私たちに海軍パイロット式の本格的な自己紹介をしてくれた。2回通過し、さらに3回頭上をかすめ、ようやく空母の330メートル長の甲板に着陸したのだ。その時点で私たちは完全にふらふらだった。

 後ろ向きに座りながら、3秒で時速240キロからゼロまで減速するのが空母への着陸だ。おかげで、ハリー・S・トルーマンの海軍航空隊(テールフック、Taihook)の名誉隊員になれ、艦長が署名した証明書をもらえた。

(c)AFP / Aris Messinis

 ギリシャに住んでいる人たちにとって、米軍のミリタリーショップは、非常に素晴らしい食品やグッズがそろった最高の場所だ。

 私たちが食堂に行くと、ウィルは真っ青な飲み物に自然と引き寄せられた。このドリンクは食堂で非常に人気があるようだった。味は青い濃縮された砂糖のようだった。少なくとも、ウィルの見た目が「ウォッチメン(The Watchmen)」に登場するドクター・マンハッタン(Dr Manhattan)のように全身青くなりはしなかった。この後最後まで、青いドリンクは飲まなかった。

(c)AFP / Aris Messinis

 空母は海に浮かぶ小さな都市のようで、乗員5500人のために毎日約1万7000食の食事と約150万リットルの水が用意される。

 思いつく限りの種類のハンバーガーが、メニューに載っていると想像していた。だが、食事の種類は豊富だった。チキン、ビーフ、パスタ、ポテトに加え、たっぷり盛られたサラダバーには、新鮮なフルーツと野菜もあった。ローカルフードとしてギリシャのフェタチーズがもうすぐ大量に届く、と言われた。

 ハリー・S・トルーマンの広報担当官を含め受け入れ側の人たちは、私たちに丁寧に接し、プロフェッショナルな態度で、冗談を言うことさえあった。だが、本当の意味で警戒を緩めることはなかった。私が乗員と一緒に何回か懸垂をやりたいと言った後でさえ。正確には、2回半やった。

(c)AFP / Aris Messinis

(c)AFP / Aris Messinis

 事前に申し込んでいた乗員とのインタビューは、台本がある堅苦しいものだった。インタビューをした乗員の一人は明らかにおびえていた。ほとんどの乗員が、空母で仕事ができて興奮しているとか、アメリカを守りたいとか同じセリフをマントラのように唱えていた。

 この穏やかに話す、どう見ても若い女性や男性たちが、人を殺すように訓練されているのだということを自分に言い聞かせ続けなければならなかった。

「船内を歩いていると、若い男女がどれほど多くの仕事を任させているか驚かされるだろう。それでも多くの顔に笑顔が浮かんでいるのは、自分たちがやっていることが好きだからだ」と、空母打撃群の司令官ジーン・ブラック(Gene Black)少将は説明した。

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 だが、彼らは自分のためにささやかなぜいたくもしている。狭くて、迷路のような廊下を歩いていると、男性乗員の間で口ひげがかなりはやっていることにすぐに気づいた。「口ひげは米国でははやっていないが、家族から長期間離れている今のうちに、自分の顔で少しばかり実験している」と、説明された。

 ハリー・S・トルーマンは4月、駆逐艦と巡洋艦を引き連れ東部地中海に向かった。

 公式には、ハリー・S・トルーマンに搭載された航空機はシリアでのIS掃討作戦「不動の決意作戦(Operation Inherent Resolve)」に参加している。甲板には、燃料補給、軍需品の搭載、安全確認など7種類の専門チームがいる。彼らがミスを犯すことはない。

 乗員は、日中は40秒ごと、夜間は60秒ごとに航空機2機を発艦させられるよう訓練を受ける。部隊長はこれを「バレエ」と呼んでいた。乗っている側は、バレエのように優雅だとは思っていないだろう。

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 たとえ待機中だったとしても、戦闘機FA18Eスーパーホーネット(Super Hornet)の排気口に近付くのは無謀だ。ヘルメット、安全ジャケット、ゴーグルを着けていないと甲板には出られない。それでも、戦闘機に近付く乗員は、顔の下半分をスカーフで覆って保護している。

「完全に身を守ることが出来なかったことがあった。突風に体が投げ飛ばされ、私の後ろにいた男性も吹き飛ばされた」と、ある乗員は打ち明けた。

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 トルーマン大統領は、第1次世界大戦(World War I)中は砲兵部隊の大尉だった。「責任は私が取る(the buck stops here)」というフレーズがおそらく最も知られているだろう。大統領はこの言葉を、ホワイトハウスの自分の机の上に掲げていた。

 このフレーズは今や空母のしるしとなり、ベッドカバーや部屋のタオルまで、至る所でみかける。

 船内のあちこちで第33代大統領に敬意が表されているが、堅実だったトルーマンはこのようなお世辞を嫌っただろう。トルーマン大統領のプロフィールが飾られた格納庫の壁の前では、乗員がエアロバイクをこいでいた。来客室には、少年の頃の写真、若い頃馬に乗る写真、魚釣りや誕生日を祝う写真などが飾られていた。

 戦旗には、1948年の大統領選の演説中に支持者が叫んだ言葉、「やつらをぶちのめせ(Give ‘em hell)」が書かれている。

 最大の目玉は、トルーマン・ルームのコレクションだ。大統領執務室のミニチュア版のようにデザインされた小規模な博物館で、年代ごとに大統領の生活が紹介され、各時代の身の回りの品も展示されている。

 おそらく最も重要な展示品は、目立たない場所に追いやられたピンクがかった小さな紙切れだろう。「提案は承認された。準備が出来たら投下するように」と書かれている。日本への原子爆弾投下の命令書のコピーだ。

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 1986年に公開された海軍戦闘機パイロットの古典的映画『トップガン( Top Gun )』を見ていれば、米空母への訪問は完ぺきだ。運よく、ハリー・S・トルーマンの指揮官ニコラス・ディエンナ(Nicholas Dienna)大佐が昔トップガンの教官だった。そこで、私たちはハリウッドの映画に間違っている箇所があるか尋ねてみた。

「一般的に言えば、教官または海軍パイロットとしての生活は、映画制作者が1時間半の映画に凝縮したようなドラマチックなものではない」と述べた。ディエンナ大佐の飛行時間は3000時間近く、空母への着艦は約800回に上るという。

 また、乗員らは映画の中の船の内部の大きさにも興味を引かれたという。実際の軍艦ではカメラを置くスペースがほとんどないため、映画はスタジオ内で撮影しなければいけなかっただろうと指摘した。

(c)AFP / Aris Messinis

 乗船してから24時間しか過ぎていないが、帰る時間になった。

 私たちのグレイハウンドは、空母のカタパルト(甲板の下に備え付けられた蒸気式の大きなピストン)に準備されていた。衝撃を受けた次の瞬間、航空機単体ではとても出せないほどの加速度で空中に放り出された。カタパルトは、航空機を甲板から飛び立たせるための装置だ。私は、パチンコで飛ばされるのがどんな気分かわかった。すごかった。

 ヘルメットが耳を押しつぶしている。これから1時間以上もこのままだ

 パイロットのコールサイン(無線通信の呼出符号)は、平凡なものから露骨に煙に巻いているものまでさまざまだった。Peeper、Dad Jeans、Squeezer、Mr Hands、Wiggler、McSalty、Shady、 Shag、Sadlyなど。どのような成り立ちでこのようなコールサインになったのか知る機会はなかった。

 グレイハウンドが空に発射されると、私はまた吐き気がしてきた。空母の訪問から1週間たった今でも、耳が聞こえにくい。だが、空母内で建物40階分の距離を歩いていたおかげで、1キロ体重が減っていた。

 いつまた訪問できるのだろう?

(c)AFP / Aris Messinis

このコラムはギリシャのアテネを拠点とするジャーナリスト、ジョン・ハドゥリス(John Hadoulis)が執筆し、2018年5月22日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。