【6月18日 AFP】2002年のサッカーW杯日韓共催大会、大会前はまったくのノーマークでありながら、下馬評を覆して準々決勝へ勝ち上がっていくセネガル代表を、10歳のサディオ・マネ(Sadio Mane)は驚嘆の目で見つめていた。――視線の先にいたのはエル・ハッジ・ディウフ(El Hadji Diouf)。世界中が注目する舞台で、脱色したブロンドが目を引くアタッカーは当時の王者フランスの守備陣を手玉に取っていた。

 2002年大会の開幕戦でフランスから金星を挙げたセネガルは、続くデンマーク、ウルグアイとの試合を引き分けに持ち込んで決勝トーナメントに進出すると、1回戦でスウェーデンを破りベスト8入りを果たした。迎えたトルコとの準々決勝では、チーム力というよりも疲労が原因でアフリカ勢初のW杯ベスト4を逃したが、帰国した「テランガのライオンたち」は英雄として迎えられた。

 そして今、すでに現役を引退したディウフ氏と、イングランド・プレミアリーグのリバプール(Liverpool FC)でゴールを重ねるマネは、当時とは逆の立場に置かれている。レアル・マドリード(Real Madrid)との欧州チャンピオンズリーグ(UEFA Champions League 2017-18)決勝を終え、代表に合流したマネは、誰もが認めるセネガルのエース。そして日韓大会から16年の時を経て、代表が2回目のW杯の戦いに向かう中、ディウフ氏はマネへの称賛を惜しまない。

 所属するリバプールでは、爆発的な得点力を発揮したエジプト代表のモハメド・サラー(Mohamed Salah)に主役の座を譲ったが、マネもサラー、そしてブラジル代表のロベルト・フィルミーノ(Roberto Firmino)とともに強力な3トップを形成すると、チャンピオンズリーグ決勝ではサラーが前半途中に負傷でピッチを退いた後の攻撃陣をけん引し、敗れはしたもののチーム唯一のゴールを決めた。

 ディウフ氏はマネについて、「世界はこの謙虚な青年の足元にある。ロシア大会は、彼の実力を世界に知らしめる機会になるだろう」と話し、リベリアの伝説的選手ジョージ・ウェア(George Weah)氏と同じように、世界最優秀選手に輝くこともできると力強く主張している。

「サディオなら大会の主役になり、次のバロンドール(Ballon d'Or)を取ることだってできると信じている。自分の才能に自信を持っているし、少なくとも最終候補の3人には選ばれてもいいはずだ」

 ディウフ氏は世界の頂点を極められなかったが、2年連続でアフリカ年間最優秀選手に輝いた。その選手の期待に対し、寡黙なマネは「リバプールでプレーすることで素晴らしい機会を得られている。26歳になったが、サッカー選手としては若手だと思っているし、まだまだ学ぶべきことは多い」と述べた。

 しかし、謙虚なエースもセネガルのアリュー・シセ(Aliou Cisse)監督が試合のメンバー表を記入する際、真っ先に書き込むのが自分の名前であること、自分の状態がセネガルの浮沈のカギを握っていることを分かっている。ロシア大会でグループHに組み込まれているセネガルは、ポーランドとの試合でチーム開幕戦を迎え、続けて日本、コロンビアと対戦する。(c)AFP