【5月23日 AFP】長年戦争を続ける国に住むサファー・ファキーフ(Safaa al-Faqih)の指には血が滲む。しかし作業場でイエメン産の宝石を磨く彼女の心は穏やかだ。

 この分野では数少ない女性の一人であるサファーは黒い「ニカブ」姿で、イエメン産の青い瑪瑙(めのう)石を火の中にくぐらせ、素手で型にはめ込んでいる。

「これらの石は毎日違う物語を教えてくれる」とサファーはAFPに対して話す。「毎日新しい発見がある」

 石が熱い内に、黒の長いアバヤをまとめた彼女が向かう先は砥石台だ。宝石を研いでは、すぐにその淵を指でなぞり滑らかさを確認している。

「この工芸が大好きです」と茶色い瞳の職人は語る。「指が切れることもあるし、体調を崩す時もある」「それでもこの宝石に囲まれることが好きです。この宝石自体が大好きだから。本当に私のパッションなのです」

イエメンの首都サヌアで宝飾品加工職人をしているサファー・ファキーフさん. 写真は、イエメン産の瑪瑙をあしらった指輪(2018年4月18日撮影)。(c)AFP PHOTO / Mohammed HUWAIS

 この情熱は、イエメンと宝石の長きにわたる恋物語の一部。現在イエメンとして知られる地域はかつてシバの女王が住んだとされる地であった。そこで女王は、ソロモン王に贈った宝石や金を見つけたとされる。

 1000年経った今、戦争がその歴史を脅かしている。

■イエメン産瑪瑙(めのう)

 イエメンの豊な分化は残忍な戦争によって、ゆっくりと腐食されていっている。歴史ある街、ザビード(Zabid)やサヌア(Sanaa)、「砂漠のマンハッタン」として知られるシバーム(Shibam)の旧城壁都市などが、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)によって危機遺産よして登録されている。

 イエメン産の瑪瑙(めのう)は、イエメンの有名なシルバーアクセサリーのトレードマークで、指輪やネックレス、ブレスレット、男性がベルトに刺している湾曲した短剣などにあしらわれている。ジャンビアと呼ばれるこの短剣の装飾に長年使用されてきたのはイエメンで採石された瑪瑙(めのう)だ。

 この宝石はムスリム地域では大きな意味を持っている。イスラム教を開祖したムハンマドが、高い硬度で薬品にも強く、様々な色合いをもつ瑪瑙(めのう)をあしらった銀の指輪をしていたとされている。

またイエメンには数百年の、中には数千年とする歴史学者もいる、ジュエリー作りの伝統がある。これによって、共にその技術で知られる、国のムスリムコミュニティーと、少数派であるユダヤ系の人々を繋げている。

 戦争が勃発し国の豊かな工芸産業を中断させるまでは、サヌアは特に銀細工師と、イエメンの特産であるショールを作り出していた刺しゅう職人で知られていた。

 2015年には、現在首都サヌアを制圧している「フーシ(Huthis)」が、アブドラボ・マンスール・ハディ(Abedrabbo Mansour Hadi)政権を南へと追いやり、サウジアラビアが率いる地域軍事連合軍が介入することとなった。

イエメンの首都サヌアで宝飾品加工職人をしているサファー・ファキーフさん.がイエメン産の瑪瑙をあしらった指輪を加工している様子(2018年4月18日撮影)。(c)AFP PHOTO / Mohammed HUWAIS

 宝石の多くが売られていたサヌアの市場で仕事を続けている職人はかつての25%ほどとなっており、産業の大半を占めていた男性たちは、他の職を求めて去っていった。

 戦争の中、宝石を買い求めることができなくなったため、サファーは顧客の多くを失い、親族や近所の人々に作品を売っている。

■工芸への愛

 サファーがこの工芸と初めて出会ったのはサヌア。そこで彼女は今でも制作し続けており、残されたどのような需要にも応えようとしている。

 この産業で居場所を得るために戦うように励まし続けたのは父だったと彼女は話す。

 2011年、当時男性優位の政府の職業訓練学校に女性も入学できるよう、サファーと彼女の友人たちは働きかけた。願いは受け入れられ、その年のクラスに加入した。

「私がこの仕事をしていることに対して反対する人、特に男性、がいます。それも両親は支援してくれています」とサファーは明かす。「この工芸が好きだから続けられた。ただそれだけです」

 サウジアラビアとその同盟が戦争に加わってから1万人近くの人々が命を落とした。この衝突は、国連(UN)が世界最大の人道的危機と呼ぶ事態を引き起こした。港や国の主要国際空港の大部分が閉鎖されたままで、飢饉(ききん)にひんしている国には何百万もの人が閉じ込められている。(c)AFP