【5月11日 AFP】シャー・マライ(Shah Marai)は下品なジョークを言うのが好きだった。

 鋭い眼差しのブルーグリーンの目をキラキラといたずらっぽく輝かせ、自分の最新のギャグを披露するのだった。そしてオチにたどり着く前に自分で笑い出していた。

 

(c)AFP/Ed Jones

 

 2017年8月、私がアフガニスタン・カブール支局にやって来たとき、同僚たちからは、彼のギャグは際どいから気をつけろと言われた。

 最初は私の方が上司で、支局でも数少ない女性だったから、彼は私をおちょくろうとしているのかと思った。

 でもすぐに、それがマライなのだと分かった。人を笑わせるのが大好きなのだ。

 

アフガニスタン・カブールの墓地近くにあるブランコで遊ぶ子どもたち(2013年7月31日撮影)。(c)AFP/Shah Marai

 

 アフガニスタンの首都で起きた2件の爆発で亡くなった他の8人のジャーナリストたちと共にマライが殺されてから1週間が経った。この連続自爆攻撃はイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が犯行声明を出している。

 マライはこれまでも何度もそうしてきたように、自爆攻撃を取材するために現場へ急行した。他の記者たちと立っていたところで2番目の爆弾が爆発した。

 彼の非業の死は、多くの人の人生に埋めがたい穴を残した。AFPカブール支局で最もキャリアが長く、まるで「長老」か「じいさん」みたいだと冗談を言うのが好きだった。

 

死後、AFPが公開したシャー・マライの写真(撮影日不明)。(c)AFP

 

■ベテラン

 互いに結びつきが強く、大部分は若いアフガニスタンのジャーナリスト界にあって、マライはそびえ立つ存在で広く称賛され、尊敬されていた。旧勢力タリバン(Taliban)の政権下で自分の命を大きな危険にさらしながら、AFPのために勇敢に写真を撮影したベテランの一人だった。

 

旧勢力タリバンの戦闘員ら。アフガニスタン・カブール近郊で(2001年10月4日撮影)。(c)AFP/Shah Marai

 

 死と隣合わせのアフガニスタンの状況は、同僚・同業者同士の間で互いに注意し合い、安全を確認し合うという感覚を育み、強い絆を築いた。

 その連帯は、世界中から哀悼と弔意を表すメッセージがカブール支局に舞い込んだこの1週間、特に痛感させられた。それらは大切な同僚であり近しい友人の喪失を受け入れることができずに苦しんでいる支局のチームに幾分かの慰めを与えてくれた。

 写真家としてのマライの優れた腕と感性はこのところ、世界中で褒めたたえられてきた。だが、彼を知る人にとって最も惜しまれるのは彼の寛大さと遊び心だろう。

 

(c)AFP/Shah Marai

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(c)AFP/Shah Marai

(c)AFP/Shah Marai

 

 カブール支局の毎日は大抵、オフィスにいつも一番早く着いているマライのジョークで始まった。彼がフェイスブック(Facebook)でジョークを送ると部屋中にクスクス笑いが起きるのだった。

 死の数週間前、マライは私とフランス人の同僚アンヌ・シャオン(Anne Chaon)をちょっとしたドライブに連れて行ってくれた。カブールから北へ1時間ほどのところへ、満開のユダの木(セイヨウハナズオウ)を見に行ったのだ。

 それは、マライのアイデアだった。「君たちはオフィスに居すぎだ」と彼は言った。私たちは大はしゃぎだった。もう1人の女友達、ソニアも誘っていいかと私たちが聞くと彼はいたずらっぽく笑い、お望みならばバスを貸し切りにして女友達を全員、誘っていいよと言った。マライはいつも色っぽかった。

 私たちはユダの木の周りにカーペットを敷いて座って暖かい春の陽光を浴び、パンとチョコレート、コーヒーだけの簡単な朝食を分け合い、マライの家族について話した。5人の息子の後にもうすぐ初めての娘が生まれるとあって、彼は興奮していた。

 

シャー・マライと5人の息子たち。アフガニスタン・カブールの自宅で(2016年5月6日撮影)。(c)AFP/Wakil Kohsar



数日後、彼の娘がこの世にやって来た。マライが仕事に復帰した日にはケーキを用意し、AFP支局の庭で彼女の誕生を皆で祝った。マライは数時間前に、60人が殺害された有権者登録所での自爆攻撃現場の写真を撮影したばかりだった。

 そんな状況がアフガニスタンの現実だ。

 

アフガニスタン・カブールで起きた自爆攻撃の現場に転がるサンダル(2018年3月21日撮影)。(c)AFP/Shah Marai
アフガニスタン・カブールで、雪の中、濡れた路上に座り込み施しを求める女性(2013年2月4日撮影)。(c)AFP/Shah Marai

■もっとたくさんあるはずだった人生

 マライが亡くなった日、彼の年齢をめぐって支局では混乱があった。結局、実際の年齢は41歳だったが、彼はよく自分はまだ30代だと冗談を言っていた。アフガニスタン人は自分の実年齢を知らないことが珍しくない。

 その晩、彼が数か月前、北大西洋条約機構(NATO)によるアフガニスタンでの「確固たる支援任務(RSM)」に同行取材するために送信してきた個人情報を思い出し、私は彼の誕生日を見つけた。1977年5月2日──彼にはもっとたくさんの人生があるはずだった。

 AFP支局のオフィスのマライのデスクには今、ほとんど何もなく、紺色の防弾ジャケットを着用し、ヘルメットと2台のカメラを持った彼の写真が飾られている。レンズをまっすぐに見つめる彼は、優しい自信をたたえた男性だ。

 彼がよくデスクに足を乗せて寄りかかっていた黒い革張りの椅子には、しおれた花輪が置かれたままになっている。壁にはマライと、彼が愛してやまなかった5人の息子たちの写真が掛かっている。

 

シャー・マライと息子。AFPカブール支局の庭で(2013年5月9日撮影)。(c)AFP/Ben Sheppard

 

 けれど、いつでもドアから飛び出して行けるように、彼が常に手元に置いていたカメラと携帯電話は、彼を愛していた人たちの心と同じように爆発で壊れてしまった。

 アフガニスタンで死亡したAFPのジャーナリストは過去4年間で、マライで2人目だ。

 2014年のタリバンの攻撃によって妻と2人の子どもたちと一緒に死亡したAFPの記者、サルダール・アフメド(Sardar Ahmad)はマライの親友だった。サルダールの死はマライや支局の他のスタッフを打ちのめしたが、私たちに悲しみを共有させることによって彼はチームを導いた。

 今、私たちは、サルダールとマライが再会を果たしたと信じて自分たちを慰めている。ジョークを言い合い、互いを笑わせていることだろうと。

このコラムはAFPカブール支局の支局長アリソン・ジャクソン(Allison Jackson)が執筆し、2018年5月7日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

 

シャー・マライと、2014年のタリバンの攻撃で犠牲になったマライの親友で同僚のサルダール・アフメドの写真のそばで、ロウソクやランプに火をともすパキスタンのジャーナリストら。(c)AFP/Aamir Qureshi