【5月26日 AFP】米首都ワシントンの中心地に、長らく打ち捨てられた核シェルターがある。この中に足を踏み入れた国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History)のキュレーター、フランク・ブラジック(Frank Blazich)さんは、「1962年11月」の日付が入っているさびた大きな缶を開け、中に入っていたクラッカーをムシャムシャと食べて「ちょっと、しけてるね」と冗談めかして言った。

 クラッカーの缶は、この地下施設に何十年も前から保管されている。米国は冷戦中、核攻撃を受ける可能性に備えてシェルターを多数造った。ここはそのうちの一つだ。

 通気口を通って子どもたちの笑い声が聞こえてくる。この細長い施設は、ホワイトハウス(White House)から北に2.5キロ離れた位置にあるオイスター・アダムス・スクール(Oyster-Adams School)の地下に設置されている。

 コンクリートの部屋は、工場などで使用されるようなランプがいくつもぶら下がり、薄暗く照らされている。「非常用備品」と書かれた円筒形の容器──水、薬、非常食、民間防衛マニュアルが入っている──がずらりと並んだ光景は、第2次世界大戦(World War II)後に旧ソ連との緊張が最高潮に達した時代の恐怖を呼び覚ます。

 半世紀を過ぎた今も蓄えが残されているのは、ワシントンでもこのシェルターだけかもしれない。この時代に興味がある人にとっては貴重な発見だ。

 核シェルターマニアでもあるブラジックさんはAFPに対し、「ここは、まさにタイムカプセルそのもの。私たちはその中身が開かれるところに立ち会っている」と話した。(c) AFP/ Elodie CUZIN