【4月2日 AFP】キプロスの首都ニコシアにあるAFP中東・北アフリカ支局の写真編集デスクには毎日、シリアの現地通信員が撮影した写真が何十枚と届く。何百枚という日もある。3月13日に送られてきた写真は350枚だった。ここ数年、こういった調子だ。

 3月15日、シリア内戦は8年目に突入した。AFPはその初期から常時、現地取材を続けてきた数少ない国際メディアの一つだ。この仕事を遂行するために、私たちは数年かけて現地通信員のネットワークを築き上げた。恐らくこれに匹敵するネットワークを持つ大手外国メディアは他にないだろう。
 

シリア北部アレッポの反政府派地域で、政府軍の狙撃手の視界を妨げ市民を守るため設置したバスの残骸でつくったバリケードの前を通る少年(2015年3月14日撮影)。(c)AFP / Karam Al-masri


 

 ネットワーク構築を始めたのは2013年。外国人記者が、イスラム過激派やさまざまな暴力集団の主な標的とされつつあることが明らかになった頃だ。反体制派の制圧地域では拉致事件が増え、記者の派遣を続けることは人質を生む(あるいはもっと最悪の事態を招く)ばかりで、現実的な選択肢でなくなってしまった。

 しかし、AFPは過去何年もシリアの首都ダマスカスに支局を置いてきたこともあり、記者の派遣をやめれば、反体制派地域からの情報や画像が得られず、この内戦を一方の側、すなわちバッシャール・アサド(Bashar al-Assad)政権側からだけしか報じられなくなるという危険性があった。そこで私たちは「市民ジャーナリスト」、つまり自国で起きていることを知らせたいという志を持ち、ソーシャルメディア上で写真を公開していたシリア人の若者たちの協力を得ることにした。

 決め手となったのは、2013年6月に約15人の市民ジャーナリスト向けに私たちがトルコで行った写真のワークショップだ。参加者はAFPカメラマンと共に働くために、シリアのアレッポ(Aleppo)、デリゾール(Deir Ezzor)、イドリブ(Idlib)、果てはラッカ(Raqqa)からもやって来た。集まったシリアの若者たちは誰一人として写真について、ましてやフォトジャーナリズムについても知識がなかったが、すべてはここから始まった。

 

シリア東部デリゾールで、損壊した橋を渡る反政府派の戦闘員と子ども(2013年9月2日撮影)。(c)AFP / Abo Shuja

 

 何週間かすると、参加者のうち10人ほどが私たちに写真を送ってくるようになった。大抵の場合、送信者は偽名だった。継続して私たちと働き続けたのは、ほんの数人だ。シリアを離れた者もいたし、殺された者もいた。だが、現地通信員はさらに増えていった。

 現地通信員を見つけるのに苦労はしなかった。通信員候補が見つかったら、遠隔で訓練し、写真や、さらに重要なジャーナリズムとは何かを教え、私たちAFPの仕事のやり方を教える必要があった。私たちの任務は何かを知らせることであり、どちらかの側につくことではない。彼ら現地通信員がそれぞれ自分の主張を持っていないはずはなく、時にそれが非常に強固な信念であることを私たちは一瞬たりとて疑ったことはない。そうした主張を今もソーシャルメディア上で公にしている者もいる。

 

シリア首都ダマスカス郊外東グータの反政府派支配地域ドゥマでつながれた牛(2018年3月12日撮影)。(c)AFP / Hasan Mohamed

 

 だが、私たちにとって大事なのは、何らかの操作を受けずにAFPの水準にかなう写真がシリアから確実に届くようにすることだった。水準にかなうとは、写真としての美的な価値やクオリティーに加えて、現地の状況や内戦の影響を忠実に伝えていることだ。

■陰の功労者

 今日でも報道の正確性、公平性という基準は変わっていない。これこそが、写真デスクの編集者8人、動画班6人の意欲の源となっている。毎日、彼らは交代で1枚1枚の写真、1本1本の動画の編集、検証、裏取りを行っている。時間がかかり、単調なプロセスだが、外すことはできない。

 

シリア・アレッポ近郊の反政府派支配地域で、政府軍によるものとみられる空爆後に幼児を運ぶ男性たち(2016年9月11日撮影)。(c)AFP / Ameer Alhalbi

 

 そして心理的には非常につらい作業でもある。多くの画像に写っているのは耐え難い種類の暴力であり、特に子どもたちの写真は痛ましい。それでも写真と動画の編集者たちは、それら画像の報道価値について判断を下し、どれを使用するか決定しなければならない。かなり冷静な人間でも平静さを失いかねず、心理的な問題を生じる危険性さえある報われない任務だ。私たちのような編集デスクがトラウマ(心的外傷)を負う危険性は増している。この手の取材において、現地通信員をサポートしている編集者たちは真の陰の功労者だ。

 

キプロス・ニコシア支局の写真編集デスク(2018年3月14日撮影)。(D.R.)

 

 写真は電子メールで送信するので、現地通信員にとってまず必要なのはインターネット接続だが、これ自体が難しい場合がある。そうして写真が到着すると、検証プロセスが開始される。

 すべての写真について、私たちはメタデータ(データ本体に関する情報)を検証する必要がある。撮影された日付と撮影に使用された機材、つまり使ったカメラやレンズに関するデータだ。編集部にはすべての現地通信員が持っている機材のリストがある。これがあれば、それぞれの写真が彼らの機材によって撮影されたことを確認しやすくなるからだ。爆撃やその後の被害のせいで、撮影者と機材が一致しないことはもちろんあるが、そういうときはメッセージサービスアプリ「ワッツアップ(WhatsApp)」を通じて撮影者に連絡を取り、説明を聞く。

 撮影場所の確認はメタデータではできない。だが、首都ダマスカスの東グータ(Eastern Ghouta)地区の場合は単純だ。現地通信員は、シリア軍とその同盟勢力によって包囲された地区の中にいて、そこから外へ出ることができない。そのため、彼らがどこにいるか、私たちは把握している。2016年末にアレッポ東部が延々と包囲されていたときも同じだった。

 メタデータがない場合、その写真は使用しない。たとえ撮影者が、私たちがよく知っている信頼できる人物であっても、画像の再送信を依頼する。通信トラブルを考慮すれば、写真1枚公開するのに数時間遅くなることもあれば、翌日になってしまうこともある。だが、何よりも優先されるのは、正確性だ。

 

イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」から古代都市パルミラを奪還するため戦車を出動させるシリア政府軍の部隊(2016年3月14日撮影)。(c)AFP
シリア・アレッポ南部の村でオートバイに乗るシリア政府軍の兵士ら(2018年1月14日撮影)。(c)AFP / George Ourfalian

 

 場合によっては、まず写真や動画に含まれている情報と記事の内容を照合し、それらが一致することを確かめ、撮影者が伝えてきた場所で本当に撮影されたものであることを検証する。何か目印となるものが写り込んでいれば、グーグルマップ(Google Maps)を使って、その場所が合っているかどうか確認することもできる。

 非常に興味深い写真に思えても、確証が取れないときにはAFPパリ本社の現像所に回すこともできるし、あるいは「タングステン(Tungstene)」と呼ばれる非常に洗練されたソフトウエアに頼ることもできる。タングステンを持っている報道機関はAFP以外ではそれほど多くない。2011年には私たちはこのソフトウエアを使い、ソーシャルメディアに出回っていた米海軍特殊部隊が殺害した後のウサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)容疑者とされた遺体画像が捏造(ねつぞう)であることを突き止めた。

 シリアから届く画像が本物かどうかの検証・証明は不可能だという主張は、AFPに限っては真実ではなく、あり得ない。検証しようという意欲さえあり、人的・技術的リソースをつぎ込めばできることだ。

 私たちはシリアから届くすべての画像を配信しているわけではなく、それどころか、実際に配信しているものは、それよりはるかに少ない。例えば3月13日には、受信した写真350点のうち、わずか161点しか配信しなかった。私たちが配信するのは真の報道価値を持ち、同時に芸術的水準を満たすものだけだ。そのため、あまりにむごたらしい写真は除外する。残念ながら、これに当てはまる写真は数多い。ビデオに関しても同様だ。

 私たちの目標は読者にショックを与えたり、話をセンセーショナルに取り上げたりすることではなく、情報を提供することだ。それはつまり、反体制派や政権派が制圧する地域で暮らす人々が被っている内戦の影響を、一定の限界を設けながら示すことを意味する。そうしなければ、犠牲者の人間性を奪ってしまうことになる。それではまるで、週末に起きた交通事故のデータを扱うのと同じレベルで(「東グータ地区の月曜の死者127人」というように)犠牲者を単純な数字として扱うだけになってしまう。

 

シリア首都ダマスカス郊外東グータの反政府派支配地域ドゥマで、政府軍によるものとみられる空爆後、建物のがれきから負傷した少年を救出するシリア市民ら(2015年6月16日撮影)。(c)AFP / Sameer Al-doumy

 

 この出口のない内戦に対し、何年も私たちに窓を開け続けてくれているのは、彼ら現地通信員だ。ソーシャルメディア上には、報道機関が取り上げたシリアからの画像が多数出回っている。だが、AFPが配信した画像ほど、検証と証明を経ているものはないだろう。本物の画像であるかどうかの立証は、シリアについて取材している報道機関にとって最大の難題だ。この問題がこれほどの規模に及ぶ紛争は今回が初めてだ。私たちは現地通信員のネットワークのおかげで、「AFP」のクレジットが入った独自の画像を配信できている。

 

シリア首都ダマスカス郊外東グータの反政府派支配地域ドゥマで、政府軍の空爆後に仮設病院にいたけがをしている少女(2015年8月22日撮影)。(c)AFP / Abd Doumany

 

 例えば2月18日に東グータへの爆撃が開始されて以降、私たちが配信した現地通信員による動画は70本近くに上る。

 現地通信員のネットワークは当初、辞める通信員と入れ替わりで新しい通信員が加わる形で徐々に大きくなっていった。そのうちにレバノン・ベイルート支局の指示の下で、動画撮影や記事執筆を始める通信員も出てきた。ベイルート支局によるシリア報道と現地通信員に対する日々の指導には目を見張るものがある。

 現地通信員のうち何人かと私たちの関係は、純然たるプロフェッショナルのレベルにまで進化した。だが、ベイルートの記者たちと写真・動画の編集者たちはこの数年、世界から途絶される一方で日々、爆撃と飢えと死にさらされながら通信員となったシリア人の若者たちにとって精神的に重要なサポートを行ってきた。彼らはワッツアップを通じて一晩中、若者たちに語り掛け、励まし、勇気づけてきた。ベイルートの記者たちやニコシアの写真デスクは、現地通信員の若者たちにとって友人となり、セラピストになり、親友同然の役割を果たしてきた。一番の驚きは、一度も会ったことさえないのにこうした関係を築いたことだ。

 情報を発信する任務に加えて、私たちAFPが達成した最大の成果の一つは、AFPの仕事の基盤であるバランス感覚と厳密な正確性という価値観についてしっかり教え込まれた若い記者たちの一世代をつくり、育て上げる助けとなったことだ。この価値観は、アラビア語版もあるAFPの2つの倫理憲章の中にも書かれている。

 

シリア・アレッポ北部で、政府軍によるものとみられる、たる爆弾攻撃で負傷した少女を運ぶ男性(2014年6月3日撮影)。(c)AFP / Baraa Al-halabi

 

 すべてが始まった2013年の時点では、こうした展開をたどることがはっきり分かっていたわけではない。しかしその後、私たちの現地通信員の多く──カラム・マスリ(Karam Al-Masri)やアブド・ドゥマニ(Abd Doumany)、アミール・ハルビ(Al-Halbi)、ザイン・リファイ(Zein Al-Rifai)ら──が、才能とプロ意識を認められ、写真や動画で栄誉ある国際的な賞を受賞した。

 同時に私たちは「もう一方の側」であるアサド政権側の取材も続けてきた。届く画像は反体制派ほど悲劇的ではないが、それでもやはり人々は内戦の影響に苦しんでいる。ダマスカスの地区には、東グータの反体制派が発射したロケット弾が日常的に落ちてくる。

 この悲惨な数年間で最も美しかった瞬間がある。2016年12月19日、アレッポ東部がシリア政府軍に奪還される直前、最後まで踏みとどまっていたAFPのシリア人特派員が脱出に成功したときだ。彼は今、難民認定を受けてフランスにいるが、政権側地域にいる現地通信員の一人が彼の無事を知り、メッセージを送ってきた。「兄弟へ」と呼び掛けたメッセージには、いつの日か「戦いの傷が癒えた国」で会えれば、と書かれていた。そして、こう締めくくられていた。「この内戦は僕たちのものではない……僕たちはただ、落ち葉を燃やしているのだ」

このコラムはAFP中東・北アフリカ支局のクリスティアン・シェーズ(Christian Chaise)支局長がフランス語で執筆、トリ・オッテン(Tori Otten)氏が英語に翻訳し、2018年3月16日に配信された記事を日本語に翻訳したものです。

シリア北部アルバブで、トルコ軍の支援を受けるシリア反体制派がイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」から同地を奪還したと発表した後、鳥かごを運ぶ反政府派の人々(2017年2月24日撮影)。(c)AFP / Nazeer Al-khatib