【3月27日 AFP】ほこりっぽい地下通路で四つんばいになり、下ろしたバックパックを手で前に押しながら進みながら、僕はパリの地下墓地、しかも立ち入り禁止区域のどこに魅力があるのかだんだん不安を覚えてきた。もう長時間はいつくばっているのにゴールは全く見えない。友人はもう何十年も経験があるので勝手は分かっているはずだが、それでも、もし僕らが道を間違えていたらどうなるんだろうか……。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」の立ち入り禁止区域を探検するには、時にはこんな風に数百メートルを何時間も四つんばいで進まなければならない。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 パリの地下墓地「カタコンブ」は、光の都といわれるパリの地下数メートルに掘られたトンネルと洞穴が延びる暗い迷路の中にある。一般に開放されている場所はエッフェル塔(Eiffel Tower)の入り口ぐらい混んでいるが、そこは全体のごく一部でしかない。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」の出入り口。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 実は他にも無数の通路があり、その距離は300キロ分にも及ぶとされている。通路は曲がりくねっており、一部はパリ郊外にまで掘り進められている。公式には立ち入り禁止区域だが、それでもこっそり足を踏み入れる愛好家は一定数存在し、彼らは「カタフィール」と呼ばれている。いわばパリのアングラシーンだが、文字通りその現場はアンダーグラウンド(地下)にある。

 そのカタフィールの一人が僕の友人のパスカルだ。36歳の生粋のパリジャンで、この禁じられた地下通路をおよそ20年も探検している。最初に入ったときは15歳だったそうだ。年上の友人たちに連れられて入り、それ以来すっかり魅了されている。僕が写真を撮ってみたいと言うと、その場でガイドとして名乗りを挙げてくれた。

 カタコンブはパリ左岸の地下にある。昔、採石場があった場所で、ルーブル美術館(Louvre Museum)やノートルダム寺院(Notre Dame Cathedral)のような名所に使われている石灰岩の一部もここで切り出された。のちに採石場はトンネル状の共同納骨堂となり、パリ市民の遺骨が納められるようになった。最終的にはパリの土地拡張計画のため、地上にあった墓地に埋葬されていた何百万人もの人の骨がここに移された。(中には、「シンデレラ(Cinderella)」や「眠れる森の美女(Sleeping Beauty)」、「赤ずきん(Little Red Riding Hood)」を世に出した童話作家、シャルル・ペロー(Charles Perrault)もいるという。)

 最後の遺骨が運ばれたのは1859年。ジョルジュ・オスマン(Georges-Eugene Haussman)による都市改造計画が実行され、広い通りと似通ったアパルトマンが並ぶ、現代のパリの風景が生まれた時期だ。

 不気味なトンネルと洞穴は、貴族から学生までさまざまな人たちを魅了してきた。秘密の入り口がパリ全体に数十か所あり、入りやすいところもあれば、さらに簡単に入れるところもある。僕らはマンホールのふたを開けて入った。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」の立ち入り禁止区域に向けて出発。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 カタコンブに下りていくのに重要なのは、まず装備だ。防水ブーツ、ヘッドランプ付きのヘルメット、それと汚れても構わない服。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」のトンネルをついにくぐり抜けた筆者。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 通路のいくつかはトンネルと呼んで差し支えなく、背の高い僕(195センチ)が立って歩ける高さがある。それ以外の場所は閉所恐怖症の人にとっては悪夢のような通路で、数百メートルの距離を四つんばいで進まなければならない。

 カタコンブの写真を撮りたいという自分のアイデアに疑問を持ち始めたのは、まさにここだ。

 でも、冒険には代償が付き物。絶対にパスカルがここから出してくれると自分に言い聞かせ、はいはいを続けた。

 もう一つ、装備で絶対に必要なものは地図だ。カタコンブの全体像を示した地図は存在せず、カタフィールの団体はそれぞれ自分たちの地図を持っている。紙バージョンもあれば、スマホにダウンロードできるものもある。

 

(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt
(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 この旅に地図は必須だ。手ぶらで入ると、迷路であっという間に迷ってしまう可能性もある。過去最も有名な「迷子」は、フランス革命の時代にバルドグラース(Val de Grace)病院で門番をしていたフィリベ・アスペア(Philibert Aspairt)という男性だ。彼は病院の敷地内にある入り口からカタコンブに入り、地下室に保存してあった酒を取りに行ったと言われているが、そのまま二度と地上に戻って来なかった。遺体はそれから11年後にようやく発見され、その場で埋葬された。彼はカタコンブの伝説的人物となり、その死は教訓としてカタフィールたちの間で言い伝えられている。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」に酒を取りに行って行方不明となり、11年後に遺体で発見された場所に埋葬された伝説的人物フィリベ・アスペアを追悼する記念碑。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 カタフィールには2種類いる。まずはパスカルのように定期的に探検して、新しい通路や洞穴を地図に記すマニア。もう一方はたまに地下を訪れ、友人たちと洞穴でキャンドルをともし、ワイン片手に楽しく過ごすような人たちだ。もちろん、この両方に属す人もいる。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」の壁に描かれたカタフィールらの芸術作品。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 パスカルはプロのツアーガイドで、普段からパリ市内で観光客を案内している。彼にとっての魅力は、この場所にまつわる歴史だ。

 新しいトンネルや洞穴を見つけると、スリルを感じるのだという。今いる場所が観光名所の下であれば、何の真下にいるか教えてくれるし、もし今いるトンネルが17世紀に掘られたものだったりすれば、なおさらだ。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」の壁に記された西暦。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 四つんばいで進んだにもかかわらず、何時間かを地下で過ごしているうちに、自分にもこの場所の魅力が分かってきた。一番の魅力は静けさだ。僕らがいるのは、クラクションを鳴らす車や猛スピードで飛ばすバイクからわずか数メートル下だが、ここにあるのは完全なる静寂だった。中の温度はどこも15度。頭上には世界有数の観光都市が。しかし、その地下にはまるで自分と友人のためだけにあるような未知の世界が広がっている。

 通路の途中には、今どこにいるのかを記す「道路標識」もある(通常、地上の通りの名前が書かれている)。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」の立ち入り禁止区域にある道路標識。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 壁画やグラフィティもある。

 

(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt
(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 過去の訪問者たちの置き土産もある。例えば何台かの自転車とか(なんでこんな物を持って下りて来たのか、僕にはさっぱり分からない)、ぬいぐるみとか。

 途中で出会ったカタフィールたちは、安全志向が非常に強い人たちだった。カタコンブは何となくロマンがあるように感じるが、同時に危険性も高い。あるときパスカルの友人は一人で探検に入ったところ、不運にも足の骨を折ってしまった男性2人に出くわし、一人ずつ地上に引きずり出し、救急車を呼んだという。

 

思わず足を骨折してしまいそうな場所。パリの地下墓地「カタコンブ」の立ち入り禁止区域にある狭い通路で。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

 カタコンブ探検者が後を絶たず、危険性が高いため、警察は「カタコップ」と呼ばれる部隊を作って取り締まりに当たっている。もしカタコップに捕まったら、追い出されるだけでなく、60ユーロ(約7800円)の罰金を食らうことになる。

 探検に行った数週間後にこのカタコップたちと言葉を交わす機会があり、彼ら側の話を聞くために、今度、密着取材をしていいかと頼んでみた。カタコップの責任者は、彼らにとって最大の頭痛の種は冒険をしようと思い立つティーンエージャーたちだと教えてくれた。「4人が入って行って、3人しか出て来ないことがある。そうすると残りの1人を捜索しに行かないといけなくなる」

 僕がカタコンブにいたのは約6時間。だが、時計を持っていなかったらどれぐらいの時間が過ぎたのかさっぱり分からなかっただろう。時が止まっていた気がする。まるで異世界にいるようだった。

 

パリの地下墓地「カタコンブ」の立ち入り禁止区域で一休み。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 

このコラムは仏パリを拠点に活動するAFPのカメラマン、ジョフロワ・ファンデル・ハッセルト(Geoffroy Van der Hasselt)が執筆し、2018年2月28日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。