■戻れなくなったユダヤ人たち

 ファインゴールドさんが、他の127人の生存者とともにウィーンに戻ろうとすると、さらなる失望に直面した。同市を取り巻くソビエト軍占領区域への立ち入りが禁じられていたのだ。

「ロシア兵が私たちに、通行禁止の命令を受けていると言いました。当時の(社会民主党の)カール・レンナー(Karl Renner)新首相は、『ユダヤ人は迎え入れない』と言ったのです」(ファインゴールドさん)

 強制収容所で父親ときょうだいを亡くしていたファインゴールドさんは、米軍占領区域にあった、ドイツ国境付近のザルツブルクに向かった。ファインゴールドさんはそこでネットワークを築き、10万人のユダヤ人をパレスチナに移住させる手助けをした。

「われわれは、占領軍の監視をくぐりぬける策を練る必要があったが、オーストリア人たちへの対策は不要だった。彼らはユダヤ人が去るのを見て喜んだ。われわれが戻ってくるのではないかと、彼らは大きな懸念を抱いていたんだ」

 オーストリアは戦後、公式には難民を受け入れ、自国をナチス政権下のドイツ第三帝国(Third Reich)の「被害者」だと表明し、ドイツで行われたような、ナチスによる犯罪に加担したかどうかを議論するプロセスを回避した。

 このことはつまり、同国に深く根付いた反ユダヤ主義に向き合っていないことを意味した。「私は退去させられた時、自分の行政区分について、元ナチス当局に自分で説明しなければならなかった」

■現在も活動を継続

 ファインゴールドさんはアウシュビッツにいた頃、いつか自身の話を皆に知ってもらおうと自分に誓い、これまで熱心にそれを実行してきた。高齢であるにもかかわらず、ファインゴールドさんは多数のカンファレンスや児童向けイベントに参加している。

「私はこれまで、全部で50万人くらいの人々に話をしたと思う」とファインゴールドさんは話す。

 ファインゴールドさんは、偏見との闘いの現状についてどう思っているのだろうか?聞くと、「反ユダヤ主義は今も存在する。人々が、なぜ自分が反ユダヤ主義なのかわからなかったとしても。でも複数の都市ではその数は減ってきていると思う」と語った。

 ファインゴールドさんの105歳の誕生日にあたる今年5月28日には、与党の中道右派・国民党(OeVP)を率いるセバスティアン・クルツ(Sebastian Kurz)首相と自由党のハインツクリスティアン・シュトラッヘ(Heinz-Christian Strache)副首相に面会することになっている。

 シュトラッヘ氏、および元ナチス党員によって結党された同党は、ウィーンのユダヤ人コミュニティーからのボイコットを受けているが、ファインゴールドさんは、この機会を楽しみにしていると語った。(c)AFP/Philippe SCHWAB