■「世界の屋根」

 ワハン回廊は、主に乾燥した渓谷と岩だらけの峠からなる。大英帝国とロシア帝国が中央アジアの覇を競った19世紀の「グレート・ゲーム(Great Game)」の際、この細長い地帯は両勢力の緩衝地帯となった。

 ヒンズークシ(Hindu Kush)山脈、カラコルム(Karakoram)山脈、パミール高原(Pamirs)が接する世界有数の高山地帯、いわゆる「パミール・ノット(Pamir Knot)」にあるこの土地を、住民たち──キルギス人の遊牧民と、回廊の反対側の端にもっと大人数で住んでいるワハン人(ワヒ人)──は、「バーム・エ・ドゥニヤ」(世界の屋根)と呼ぶ。

 最も近い町、イシュカシム(Ishkashim)までは馬かヤクに乗って3日かかる。通るのは傾斜が急な山道や狭い渓谷で、一歩足を滑らせると命を落とすこともある。

 独立系政策研究機関「アフガニスタン・アナリスツ・ネットワーク(Afghanistan Analysts Network)」のケイト・クラーク(Kate Clark)さんによると、キルギス人の遊牧民はもともと、夏の間だけワハン回廊にとどまり、冬はキルギス、タジキスタン、中国の新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)に移動して厳しい冬を避けていた。

 クラークさんは、「1917年のロシア革命と1949年に始まった中国の第2次国共内戦の後、多くの人々がワハン回廊に逃げました。集産主義を強要されるより過酷な気候を選んだのです」と語った。

 さらに1947年のインド独立とパキスタン建国によって南の国境がふさがれ、20世紀半ばまでにこれらの人々は回廊の北部に孤立してしまった。