【3月11日 AFP】「タリバン……それ、なあに?」アフガニスタンの山岳地帯、ワハン回廊(Wakhan Corridor)にある凍えるほど冷え切った自宅でスルタン・ベギウム(Sultan Begium)さんは恥ずかしそうに尋ねた。この辺りはアフガニスタンでもあまりに辺境であるため、住民たちは祖国を荒廃させた数十年に及ぶ紛争の影響を受けることなく暮らしてきた。

 孫がいる、きゃしゃな体のベギウムさんの人生が過酷なものだったことは、その顔の深いしわから見て取れる。ベギウムさんたちワハン人(ワヒ人などとも)は、この地域に暮らすおよそ1万2000人からなる遊牧民だ。

 地元では「バーム・エ・ドゥニヤ」(ペルシャ語で「世界の屋根」という意味)と呼ばれているこの地域は、タジキスタンとパキスタンの間に挟まれた細長く延びる土地でその先には中国がある。容易にはたどり着けない荒涼とした場所だ。

 わざわざここから出て行く人は少なく、訪れる人はさらに少ない。だがそうした孤立状態が保たれてきたおかげで、ワハン人は40年近くほぼ切れ目なく続き同胞を悲惨な目に遭わせてきた紛争とは無縁でいることができた。

「戦争って、何の戦争? ここらでは戦争なんてなかったからね」と、ベギウムさんはヤクのふんを燃やした火が消えかけているのをつついていたが、そういえば、ロシア人の兵隊がワハン回廊の反対側の国境でたばこを売っていたという話は聞いたことがある、と話した。

 アフガニスタンにソ連が侵攻し、米国が資金提供したムジャヒディン(聖戦士、Mujahideen)が抗戦した9年間の悲惨な紛争では100万人もの民間人が死亡し、避難民は数十万人に及んだ。だがこの地域で暮らす彼らがアフガニスタン紛争について知っていることといえば、ソ連兵がたばこを売っていたという逸話だけだった。

 その後、アフガニスタンで勃発した内戦で数万人が亡くなるか、住む家を追われたこと、イスラム原理主義組織タリバン(Taliban)が台頭して政権を握ったことは、彼らにとっては民間伝承のようなものだ。