【3月13日AFP】世界中のどこに旅をしていても急を要する質問がある。「トイレはどこですか?」だ。しかし、アマゾン奥地の先住民ワイアピ(Waiapi)の保護区を訪れた貴重な旅の始めに、私たちはもっと深遠な質問を返された。「トイレとは何ですか?」

 ワイアピの人々が外界と接触するようになったのは1970年代。彼らは自分たちの生活様式を懸命に守ってきた。赤い腰巻きを身に着け、ベニノキから採れる赤とチブサノキの黒の染料を体に塗った彼らは、ブラジル・アマゾンの肥沃な熱帯雨林で狩りと魚釣り、小規模な焼き畑農業だけに完全に頼って生きている。

 

ブラジル・アマパ州にある先住民ワイアピの集落ピノティで、道を歩くワイアピの人々(2017年10月12日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 私たちAFPの取材班3人は白い大型の4WDに乗り込み、奥へ進むほど険しくなる道をほぼ1日がかりで走り、現地入りした。カメラやコンピューター、虫よけ剤や防水用品といった大量の荷物を降ろす私たちを、人見知りそうな村の子どもたち数人がほとんど何も着ていない姿で眺めていた。私たちの方が少しばかり適応が必要なことは明白だった。

 ここで大急ぎで質問したのが冒頭の一言だ。すると、見ほれるようなひげとボディペイントのワイアピのリーダーが、ジャングルの中のぬかるんだ小道を抜けて私たちを浅い川へ案内してくれ、去っていった。

 私たちはかなり戸惑いながら、ワイアピの「トイレ」を観察した。膝ほどの深さの川では、村の誰もがしている赤い腰巻きのミニチュア版を着けた子どもたちが水しぶきをあげて遊んでいる。それほど遠くない川の流れの真ん中あたりに、テーブル大の木の台が顔を出していた。

 

用途の分からない木の台。(c)AFP/Marie Hospital

 

 この台の上にしゃがむ、のだろうか? それとも脇の林の中へ行くべきなのだろうか? 皆が見ている目の前でするのか?

 この謎の真相を探るのはあまりに気まずく、われわれは退却した。

 適応するにはもう少し時間がかかりそうだった。

■険しい道

 地理的には、ワイアピは思うほど隔絶されていない。

 ペドラブランカ(Pedra Branca)というブラジルの小さな町からでこぼこの未舗装路を2時間ほど。リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)から飛行機でほぼ一夜をかけてアマパ(Amapa)州の州都マカパ(Macapa)へ入り、そこからは車で3~4時間だった。

 しかし、ワイアピの人々はこのちょっとの距離を越えて訪れようとする外部者を懸命に寄せ付けないようにしてきた。そしてそれには相応の理由がある。

 

(c)AFP/Apu Gomes

 

 1970年代に初めて白人と接触したときに、はしかなどの病気がもたらされ、ワクチンどころか免疫もなかったワイアピは絶滅の危機に瀕した。現在、人口は1200人程度にまで回復したが、彼らは新たな脅威に直面している。産業界寄りのミシェル・テメル(Michel Temer)大統領が、金や鉱物を狙う外国の採掘企業に周辺の自然保護区を開放しようとしているのだ。

 環境活動家らが圧力を加えた結果、テメル大統領は後に計画を差し止めたが、AFPが取材を決めたのはその計画が発端だった。南米に最初の欧州人が上陸するずっと前からここに暮らしている先住民たちに発言の機会を与えられたらと思ったのだ。

 伐採業者や採掘業者、工業型農業による圧力が年々強まる中、ワイアピのようなアマゾンの先住民たちは「地球の肺」の守護者として描かれることが多い。だが、外部の世界が彼らの声を直接聞くことはまれだ。

 

(c)AFP/Apu Gomes

 

 保護区から2900キロ離れたリオのAFP支局で私たちが最初にしたことと言えば、もちろんグーグルマップで調べることだ。地図が示していたのは、青々とした緑の中を北上する曲がりくねった道、そしてそれが何故か突然ジャングルの真ん中で途絶えたところにある「ワイアピ」の文字。それだけだ。

 次にどうすれば取材旅行を手配できるかあちこちに尋ね始めた。環境活動家たち、森林保護と先住民の権利を管轄している州機関、冒険好きの友人たち…。

 ブラジルで活動するジャーナリストにとって良いことは、役人も含め、こうしたコンタクトを取る相手がたいていとてもフレンドリーなことだ。逆に困ることは何かと言えば、彼らは最高にフレンドリーな様子で世界に誓って約束するよと言うが、その言葉を実行せずに姿を消してしまう傾向が多々あることだ。

 私たちは数週間にわたってこうした類の官僚主義のジャングルを切り開きながら進んだ。私たちは携帯電話やコンピューターはおろか、電気さえ通っていないところに住む人々を訪れる許可を得ようとしていた。そこに電子メールやワッツアップ(WhatsApp)、携帯電話、スカイプ(Skype)、フェイスブック(Facebook)といった現代の道具を持ち込もうとしていた。

 最終的な交渉相手となったのは、1990年代にワイアピが自分たちの領域の境界を決定するために(望まない外部者を近づけないための重要なステップだった)組織した評議会「アピナ(Apina)」だった。彼らは私たちの要望について、ジャングルに散らばっている村長たちとVHF無線を使って話し合ってゴーサインをくれた。その決定は評議会から驚くほどフォーマルな手紙として届いた。

 ペドラブランカまで来た後でさえも、取材が出来ないかもしれないとハラハラする時があった。

 この街での私たちの連絡相手は非常に優れたワイアピの男性、ジャワルワ・ワイアピ(Jawaruwa Waiapi)さんだった。彼は昨年、ブラジルの選挙に出馬したワイアピとして初めて当選し、ペドラブランカの町議会議員となった。彼は非常に協力的だった。

 

ブラジル・アマパ州ペドラブランカ町の町議会議員として仕事をこなすジャワルワ・ワイアピさん(2017年10月12日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 だが、ジャワルワさんと一緒に4WDで出発しようとしたまさにその時、ワイアピの村の一つで誰かが撃たれたというテキストメッセージが入ってきた。

 ここ数か月間、金の違法採掘業者が先住民を殺害したり、大地主につながる武装集団が貧しい非先住農民を邪魔者扱いして殺害したりしているというひどい話が聞こえてきていた。

 私たちは最悪の事態を恐れた。もしもこれが外部者による襲撃だったら、大きな緊張が走り、取材旅行はキャンセルされるだろう。

 

(c)AFP/Apu Gomes

 

 しかし幸運にもジャワルワさんと良好な関係を築いていたおかげで、彼は取材を取り消さないで欲しいという私たちの願いを聞き入れてくれた。彼の顔に浮かんだ不安は消し去りようがなかったが(ワイアピが1人亡くなると、ワイアピ全体がまるで家族が亡くなったように感じるのだと彼は説明してくれた)、微妙な状況で仕事をすることに私たちは慣れているのだと納得してもらうことができた。

「車で行って状況を見てみよう」と彼は言った。「けれど、もしも皆が非常に怒っていてあなた方を入れさせなかったら、引き返さなければならない」

 それ以上は望めなかった。

 私たちはついに4WDに乗り込み、曲がり角のたびに迷いながら、そびえ立つ樹海を分かつかのような道を走った。

 

ブラジル・アマパ州にある先住民ワイアピの集落マニーリャの首長、ズァクー・ワイアピさん。(c)AFP/Apu Gomes

ブラジル・アマパ州にある先住民ワイアピの集落マニーリャの首長、ズァクー・ワイアピさん(2017年10月14日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

■「これは本物」

 小さな木の橋に行き着くと、そこに「保護区」という標識があった。

「ここで止まりましょう」とジャワルワさんが言った。まだジーンズにきちんとしたシャツという「都会の格好」をしていたが、頭には美しい羽根飾りをかぶっていた。

 車から出ると、辺りは圧倒的な沈黙に包まれていた。段々と鳥の声が聞こえてきて、大量の虫が飛ぶ機械のように規則的な音がそれに加わった。

 そこで目に飛び込んできたのは、20人ほどのワイアピの人々だった。木陰から現われた彼らは腰巻き以外、何も身に着けず裸だった。

 

(c)AFP/Apu Gomes

 

 近年のジャーナリズムは、ジャーナリストが取材を試みる相手にますますコントロールされるようになっている。

 だが、本来の報道は今ももちろん生きている。例えばAFPでは国際的なネットワークを活かし、他社では到達することができないような世界の隅々を日ごろから開拓している。しかし一般的には、広報関係者、広告業界、報道官のみならず、状況によっては監視係からごろつきと呼べる連中まで、そうした周辺人物のすべてが基本的にメディアをコントロールするという共通目標を持っている。そしてそういう勢力がますます幅を利かせている。

 だから、このジャングルでの出会いは、緑の壁の中から鮮やかな赤い布が現われたという美学的な側面以上に驚きだった。

 AFP記者3人は皆、大きく目を見開き、同じことを思いながら顔を見合わせた。「これは本物だ」。私たちはジャワルワさんから前に出るよう促された。

 

(c)AFP/Apu Gomes

 

 この時点で、銃で撃たれたのは狩猟中の事故だったことが判明していた。犠牲者の命は無事で、緊張していた雰囲気も解け、私たちはそのままとどまることができることになった。

 とにかく私たちは興奮していた。以前にもワイアピを訪ねたジャーナリストはわずかにいたが、同志たちが手に入れられなかった幸運を授かった。時間だ。それまでの取材は束の間のものだったが、私たちはワイアピから4日間滞在していいと言われた。

 もちろん、4日間といっても基本、表面をなぞるだけに過ぎないことは変わらない。

 少々怒りやすい荘厳な精霊たちが木や動物に宿っているワイアピの精神世界については、本当に垣間見る程度の理解しかできなかった。漁で捕れた魚や、焼かれる姿は見るも恐ろしいが味は良かったジャングルのサルの丸焼きを堪能したが、狩猟に着いていく時間はなかった。私たちのワイアピ語は「ありがとう」から先には進まなかった。

 それでもやはり私たちは驚くほど幸運だった。

 村をうろついて彼らの日常生活を眺め、ちり一つない厚い星空の下でハンモックで眠り、彼らがキャッサバから作る不思議においしいビール「カシリ」をすすっては、まったく違うもう一つの世界を垣間見た。

 

アマゾンの星空。(c)AFP/Apu Gomes

 

■鋭い矢、鋭いメディア戦略

 報道は、たとえ非常に重大なニュースであっても、時にたった一つの鍵となるコメントを捉えることが中心となることがある。熱心なジャーナリストならば、そのために何でもするだろう。夜討ち朝駆けで誰かの家の前に立ち、報道官を何時間も問い詰め、情報源を捕まえては拝み、おだて、取り入ってコメントを取ろうとする。

 しかし今回のような旅では、違う取材スキルを必要とする。

 その村に着いた瞬間から、私たちは目新しさに次々と打ちのめされた。顔を塗った人々、たき火の周りに座る集団、裸足で駆け回る子どもたち…すべてが写真、動画、インタビュー記事の対象となり得た。まるで菓子屋にいる子どものような状況だった。

 

ブラジル・アマパ州にある先住民ワイアピの集落マニーリャで、早朝に霧の中を家族と散歩するジャワルワ・ワイアピさん(2017年10月13日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 ここでの課題はどうにかして「一言のコメント」を引き出すことではなかった。これだけ豊富な素材を他にはない記事にする計画を練ること、そしてワイアピに関する私たち自身の無知に鑑み、計画を臨機応変に変更する心づもりを持つことだった。

 すぐに受け入れなければならなかったことは、全てが最初に見えた通りではないということだった。

 上半身裸で1.8メートル長の弓と矢を持つ戦士たちという最初のイメージは間違ってはいなかった。ワイアピは真に技術の高い狩猟民であり、家から薬、武器まで、生存に必要なすべての物をジャングルの中で見つけ出す名人だ。

 しかし、その古代から続く生活様式の中には、驚くほど現代的な要素が種まかれていることに私たちは気付いた。

 例えば村人たちのうち1人、2人は携帯電話を持っていて、電波は通っていないから、写真を撮るのに使っていた。

 また実際に使っているところは見なかったが、首長の長男はおんぼろのテレビを持っていて、彼が寝起きしている小屋のわらぶき屋根には通信衛星用アンテナが付いていた。その弟は誇らしげに木のこん棒を見せびらかす大男だったが、ワイアピでおそらく唯一と思われる車を持っていた。取材時にはガソリンが切れていて、ペドラブランカまで行かないと最寄りのスタンドはなかったが。

 

ブラジル・アマパ州にある先住民ワイアピの集落マリーニャで、携帯電話を使ってワイアピ伝統の踊りの動画を見る子どもたち(2017年10月12日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 ワイアピの長老たちはまさに厳格に自分たちの文化を守っていたが、村人たちはペドラブランカを訪れていた。彼らは二つの代替現実の間を行き来するエキスパートだ。

 町に行くという1人の若者を車に乗せた時のこと。私たちは町外れで車を道路脇に止めた。それまで腰巻き一丁だった彼がそこでジーンズとポロシャツに着替え、革靴を履けるようにだ。最初に案内をしてくれたジャワルワ議員が、この若者と逆のメタモルフォーゼ(変身)をするのを私たちは前に見ていた。ジャワルワ議員は熱帯雨林に到着すると街着を脱ぎ去り、体に赤い染料を塗って裸同然で再び姿を現したときにはすっかりリラックスしていた。

 車と言えば、ワイアピの人々は普通は徒歩で動き回っていて、村と村の間や狩り場など長距離を歩くこともまったくいとわないが、私たちの4WDを使えるとなると喜んでいたことを記しておこう。私たちの4WDはジャングルのにわかタクシーと化し、時に10人近くがすし詰めになって乗り込もうとした。

 

(c)AFP/Marie Hospital

 

 だが、最も驚いたのは、ワイアピの人々がカメラやノートPCを前にしてもリラックスしていたことだろう。彼らは話すことをためらうのではないかと心配していたのだが、それぞれの話を聞きたいという私たちの要望を即、把握したようだった。まるで記者が望む情報をせっせと供給してくれるメディア対応のベテランのようだった。

 ある集落では10人ほどの住民が、マリーのビデオカメラの前に列を作って矢を振り、テメル大統領に抗議を叫んだ。小さな反大統領デモは政府庁舎の前でやっても遜色ないものだった。だが、その代わりにアマゾンの奥地で私たちのためだけにしてくれたのだった。

 町議会議員として特別な経験を持っているジャワルワさんはマスコミ扱いにも長けていて、私たちが宿泊した中心集落の暮らしについて気になっていたことを話題として持ち出してきた。それは、女性に委ねられている仕事の量だ。

 実際、それに気づかないという方が無理だった。女性たちは火の番をし、キャッサバを採るためにジャングルを歩き、それを何時間もかけてビールにする。さらに女性たちはたくさんの赤子の世話をしている。幼い少女たちがお守り役のことも多い。

 そうしたタフな女性たちの中に、無邪気なほど物事を率直に言う言う女性が1人いた。マリーが幸せですか? と尋ねると、彼女は「いいえ」と答えた。

 

ブラジル・アマパ州にあるワイアピ先住民保護区で撮影された少女や女性たち(2017年10月14日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 しかし、ジャワルワさんは後に自分がこの話題を振ってきた理由を明かした。彼は男性たちがその分、狩りをし、焼き畑を作るために森を切り開いているのだと言いたかったのだ。ちょうど男性たちのグループが木を倒すためにおのを持って歩いていった。私たちも一緒に来ないかと誘われた。

 何よりもこの柔軟さが、ワイアピがサバイバルの達人であることを示している。

 彼らは私たちのようなメディアを招くことも含めて、外界からの圧力を和らげるために、近代化による発展をぎりぎりの線で吸収しつつ、それ以外では自分たちの伝統的な暮らし方をほぼそのまま守るために積極的に取り組んでいるのだ。

 ワイアピのやり方は、今も接触を避けジャングルの中に潜んでいる残り少ない先住民たちよりもずっと洗練されている。

■いつも答えがあるとは限らない

 ワイアピの人々は私たちに好きなように辺りをうろつく自由を与えてくれた。彼らの1日には、日の出とともに起きて暗くなったらハンモックに横たわるという以外、スケジュールはあまりないようだった。

 

ブラジル・アマパ州にあるワイアピ先住民保護区を流れるフェリス川で遊ぶワイアピの男性たち(2017年10月14日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 私たち取材班はほとんど休むことなくインタビューや撮影に精を出していたが、たき火の周りに3人で腰を下ろし、町から持ってきたインスタントコーヒーや粉末の牛乳を作っているときには、この希少な旅に関するより個人的な感想を語り合った。

 フォトグラファーのアプは自分の曽祖母が先住民出身で、子どもの時に村から連れ去られ、最後は白人家庭に嫁いだのだと語った。彼は周りの人たちと同じように自分のことをブラジル人だと思っているが、ルーツはかつてワイアピのように暮らしていたであろう人々にあるのだ。

 そうしたつながりは、アプの旅にとってほろ苦い要素だったが、同時に私たち全員が、先住民に対するブラジルの悲劇的な歴史、そして長期的に見たときにワイアピが生き残れる可能性の厳しさを思い浮かべた。

 そして自分たちの訪問自体が、たとえ表面上は、ブラジルの権力者たちがほとんど無視している民族に関する情報を提供するという善行だったとしても、ワイアピ社会の崩壊に手を貸すことになるのではないかと自問さえした。

 

ブラジル・アマパ州にあるワイアピ先住民保護区で撮影された少女(2017年10月12日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 一つの出来事が例になるだろう。

 産業化した消費社会から切り離され、ほとんどゴミを出さないワイアピの暮らしに私たちは終始、敬服していた。食事をする時にはヒョウタンの実を天然のカップにし、草の茎をストローにし、タピオカで作ったパンケーキ(これ自体も食べられる)の上に食べ物を置いていた。

 しかし、私たちが村を去る時が訪れると、女性たちは私たちが持っていた大きな空のペットボトルをわれ先にと持ち去った。少しだけあったプラスチック製の皿やフォークについても同じだった。

 私たちは罪の意識を感じた。醜いボトルや皿はあの場所にふさわしくないように見えたが、プラスチックのように便利なものが手に入るとなったら、それを欲しいという人々に拒むことができるだろうか?

■最初の謎

 キャンプファイヤーの周りでの私たちの会話は必然的に、さらに実用的な問い(そしてこれも答えを見つけにくい)へと移っていった。

 

ブラジル・アマパ州にあるワイアピ先住民保護区で、食料の焼いたサルを見せる首長のジャパルピ・ワイアピさん(2017年10月13日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 例えば、全く謎だったワイアピの人々のトイレについてだ。

 幸い粘り強い調査の結果、私たちは川がどのように使われているのかを解き明かした。

 実は村の近くには2本の川が流れていた。浅い方が最初に私たちが見た木の台があった川で、こちらで生理的要求を満たし、もう1本のもっと深い川で泳いだり水浴びをしていた。ワイアピの人々はそれをとても厳しく区別していた。

 ただし、浅い川にあった木の台の用途は想像とは違った。それは洗濯台だったのだ。私たちはあの場で間一髪で大きなスキャンダルをまぬがれた。台のそばで子どもたちが水遊びをしていたことは問題なかった。何故ならば、用足しに使われる場所はそれよりも20メートルほど下流に決められていたからだ。

 非常にシンプルだ。

「川の真ん中に行って用を足し、水で洗って出てくればいい」とジャワルワさんが説明してくれた。トイレットペーパーも必要ない。自然に優しいワイアピの暮らしのもう一つの長所だった。

 

ブラジル・アマパ州にあるワイアピ先住民保護区で行われた、村の守護神アナコンダの祭りで笛を演奏し踊るワイアピの男性たち(2017年10月14日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 そこまでは良いとして、プライバシーの問題はどうするんだろうという点がまだ疑問だった。水遊びをする子どもたちや洗濯をする人たちの前で? それに誰かと、あるいは何人もが同時に用足しの必要にかられて、川のトイレで鉢合わせることはないのか。

 こうした不安を村長に打ち明けた記者のセバスティアンは、赤い腰巻き姿の若者2人を警護に付けてもらい、彼らが見張りに立って川への立ち入りを遮断した。まるで熱帯雨林のセレブであるかのようだった。しかし、少年2人がにやにやと見ている中で用を足すのも落ち着かず、意気消沈して帰って来ると、使命は断念したと報告した。

 以降、私たちはこの微妙なひと時を、星降る夜まで取っておくか、日中、人目を気にしながら茂みにダッシュするようになった。危険な動物はいないかとびくつく様は、いかにもぎこちないよそ者だった。

 

ブラジル・アマパ州にある先住民ワイアピの集落マニーリャで暮らす子ども(2017年10月14日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes

 

 ワイアピについて私たちが決して理解できなかったことはたくさんあるし、逆もしかりだ。

 それでも、ついに別れを迎えた日、あの豊かな木々と鳥や虫の音に囲まれた私たちともてなしてくれた彼らは、心からの親しみでつながっていた。

 私たちは二つのとても異なる世界に生まれたが、少なくとも一つ大事なことを理解することができた。それは、私たちは同じ地球を共有し、互いを必要としているということだ。

このコラムはブラジル・リオデジャネイロを拠点とするAFP記者セバスティアン・スミス(Sebastian Smith)、フォトグラファーのアプ・ゴメス(Apu Gomes)、ビデオジャーナリストのマリー・オスピタル(Marie Hospital)が共同で作成し、2017年11月24日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

 

ブラジル・アマパ州にある先住民ワイアピの集落ピノティで弓矢を引くワイアピの男性(2017年10月12日撮影)。(c)AFP/Apu Gomes