【3月2日 AFP-Services PR】テクノロジーが持つ可能性は、人間の想像力を超える。人がその可能性とポテンシャルを手に入れた時、テクノロジーは自らの人生を切り開くツールになる。

 ファストフード店に行った時のことを想像してみよう。お店に入ったら、まず何をしますか?「ハンバーガーを頼みます」。次は?「ポテト!」。それから?「ジュースも」。最後は?「お金を払います」。先生が生徒に対して、プログラミングとは何かについて説明する際に、ファストフード店で注文する際の一連の行動を例にとって説明した。

 生徒からは、すぐに具体的なメニュー名と共に答えが返ってきた。東京都立光明学園肢体不自由教育部門の高等部(東京都世田谷区)で12月初旬に行われたプログラミングの授業の一幕だ。同校の禿(かむろ)嘉人先生は、人間が何気なく行う動作をコンピューターに行わせる場合、段階を踏んだ指示を行う必要があるということを、生徒たちにとって馴染み深いファストフード店での一連の行動にたとえて説明したのだ。

授業の様子(c)日本マイクロソフト

 プログラミング教育が2020年度から必修化されることを受けて、教育現場では模索が続いている。こうした動きに対し、マイクロソフト(Microsoft)はNPO法人とともにすべての子供たちが、地理的、経済的、性別や身体的な理由を問わず、プログラミングに触れる機会を創出することを目的として「Programming for all(すべての人にプログラミングを)」を実施している。

 このプログラムのもとでは、現場の支援に入るキッズプログラミングサポーターの育成も視野に入れており、プログラミング授業の補佐として同社の社員ボランティアが派遣されている。禿先生の授業現場もその一例である。

 禿先生は、かつて別のクラスでプログラミング授業を行った際、予想しなかった生徒の反応に出合った経験がある。「ロボットのある生活」をテーマに、ロボットがセンサーで障害物を感知して避ける仕組みを作った時のことだ。

 きちんとプログラミングをしたつもりでも、ロボットを思い描いた通りに動かすことは難しい。生徒とともに、微調整を重ねながら完成形に近づけていく作業を重ねた。その結果、生徒たちから得られた感想は、「日常生活で、作業する側の立場からモノをみることが増えた」「人に気持ちよく使ってもらうにはどうしたらよいか、考えるようになった」という感想が生徒から出たという。 プログラミングの授業を通じて、生徒たちが社会性を学んだ瞬間だ。

「プログラミングは生徒が集中しやすい反面、自分の世界に没頭してしまうのではと心配だったが、むしろ思いもよらぬ感想を得られた」と禿先生は振り返る。

プログラミング授業中に生徒をサポートする社員ボランティア。「生徒たちのユニークな発想に驚かされることが多い」と話す。(c)AFP-Services /Nicolas Datiche

 つまり、プログラミングを学ぶことは、自分たちが暮らす社会を支えるシステムがどうなっているかについて触れることであり、その仕組みに対して自分はどう関わっていけるのかについて、子供たちが考えるきっかけにもなる。そして、自分たちを取り巻く世界を知る・創るツールを、もうひとつ手に入れることなのだ。

 コンピューターのあらゆる機能が日常生活に入り込み、人間にとっての使いやすさが追求されてきた。箱型だったパソコンは、スマートフォンのサイズにまで小さくなり、タップすればさまざまなことができる。一方で、その仕組みを知らない人の方が圧倒的に多い。

 今後の社会の在り方、とりわけ最近では、「第4次産業革命」という進化した人工知能が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の中では、子供たちは、複雑な情報を読み解いて、解決すべき課題や解決の方向性を自ら見いだし、多様な他者と協働しながら自信を持って未来を創り出していくために必要な力を伸ばしていくことが求められている。また、その過程において、私たちの生活にますます身近なものとなっている情報技術を、受け身で捉えるのではなく、手段として効果的に活用していくことも求められる。このことが、必修化の背景にある。

 プログラミング教育の核心部分は、プログラミング言語のコーディング「技術」を得ることではない。プログラミングを学ぶことは、情報化の進展という社会的な変化の中で、1「情報を読み解く」、2「情報技術を手段として使いこなしながら、論理的・創造的に思考して課題を発見・解決し、新たな価値を創造する」、3「感性を働かせながら、よりよい社会や人生の在り方について考え、学んだことを生かそうとする」──、これら3つのこれからの時代に求められる資質・能力を身につける「手段」なのだ。

 コンピューターは人間の論理的思考の積み重ねをプログラミングによって整理したものであって、「魔法の箱」ではない。そのコンピューターの性能を今後も伸ばし、人間の生活をより良く、幸せなものにしていくのもまた、人間にほかならない。

日本より一足先にプログラミング教育を必修化したイギリスの実情を報告する鵜飼さん。集まった教育関係者が熱心に耳を傾けた (c)日本マイクロソフト

 プログラミング授業は、児童・生徒にとっては作業の成果が見えやすい。プログラミングの授業中、退屈そうにしている児童・生徒を見かけることは、あまりない。都立光明学園では、休みがちだった生徒がプログラミング授業を好きになり、登校する動機付けになっているケースもあるという。

 また、「正解」「不正解」では測れないのもプログラミングならではだ。「なぜ」そうなっているのかを問い、答えの探し方を学ぶことだ。コンピューターにバグが出るのは珍しいことではないから、その場合も「なぜ」を追求してトライ&エラーを積み重ねる経験ができる。都立光明学園の禿先生によると、「特別支援学校では生徒に失敗をさせることは避ける傾向にあるが、プログラミングでは失敗を恐れずに学習できる」という発見もあった。うまくいかないことは、恥ずかしいことではない。別の方法を考えて次善の策を練れば良い。

 イギリスでは、プログラミング教育が2014年に必修化された。これまでの3年間の取り組みを振り返った調査報告が2017年に王立協会から発表された。報告書では、必修化の開始直後で課題は山積しているものの、教員たちがプログラミング教育のスキルを上げていけるような仕組みを学校内に設けたり、民間企業の協力を得たりして、手探りの中でも成功をおさめている学校が紹介されている。

 そうした学校では、児童・生徒の間から「プログラミングは面白くて、実社会と関係しているのがわかった」「最初はつまらなかったけれど、分かるようになってきたら、プログラミングをすることでクリエイティブになれるのがわかった」などの前向きな反応が見られた。

 イギリスでは、プログラミングを教えられる教員が不足しているなどの課題があるが、現在同国の大学院でプログラミング教育の研究にはげむ鵜飼佑さんは、地域の人材を活用することを勧める。イギリスでは学校の課外活動として行われる、参加無料の「コードクラブ」と呼ばれるプログラミング教育活動が盛んだといい、教員不足を補っている一面もある。こうした際に活躍するのは地域の人材であり、報告書でも、さまざまな人材がプログラミング教育に関われる仕組みづくりを推奨している。

 必修化される2020年に向けて、プログラミング教育の実践・向上は最重要課題だ。イギリス同様、教育現場の人材育成を図るためには、教育機関だけでなく民間との持続的な連携が欠かせない。マイクロソフトが、プログラミング授業に社員ボランティアを積極的に派遣するのもこうした理由からで、地域でプログラミング教育を支えていく活動を続けていきたいとしている。(c)AFP-Services PR

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