【2月6日 AFP】スイスならば大丈夫、と僕は思っていた。この3年間、休暇の家族旅行は散々だった。文字通り。正確にいえば自然災害にやられたのだ。台湾と日本を旅行中に台風に見舞われた。だから今年は安全パイでいくことに決めた。スイスだ。台風の危険はあそこにはない。風光明媚(めいび)なアルプスでスキーを存分に楽しむだけだ。

 僕たちは雪崩を忘れていた。

 ガールフレンドと僕の娘と一緒にツェルマット(Zermatt)に着いた1月3日は吹雪の真っ只中だった。スキーヤー1人にスノボ女子2人の3人組にとって、これ以上、望める条件があるだろうか? その日は天気が素晴らしすぎたので、ゲレンデには行けなかった。翌日もだ。その次の2日間は一変、素晴らしい青空が広がった。しかし週明けの8日月曜になるとまた吹雪き、リフトは早い時間に終わってしまった。

 

アルプス山脈のリゾート、スイス・ツィナールで、雪の中を歩くスノーボーダー(2018年1月9日撮影)。(c)AFP/Fabrice Coffrini

 

 その翌日の早朝5時30分だった。私たちを含め街中が、ごう音に飛び起きた。

 スキーはよくしているから雪崩の音だなとは思ったが、管理されている雪崩だろうと思った(ゲレンデやその下の道路の安全を確保するために管理側がわざと起こす雪崩だと思ったのだ)。「おっと、ずいぶん朝早くから働くんだな」。僕は携帯電話に表示されている時間を見て思った。けれど何かが違った。ものすごく近くで音がしたし、普通の雪崩管理ならば爆音は1回か2回のところが5回も聞こえた。

 結局、これは幹線道路と線路を飲み込み、風光明媚なリゾートにいた全員を閉じ込めてしまう雪崩となった。

 

スイスアルプスのフィスプ-テーシュ間で、雪崩により雪で覆われた線路で除雪をする作業員ら(2018年1月10日撮影)。(c)AFP/Fabrice Coffrini

 

 僕は停電していることに気付いた。外を見ると街全体が真っ暗だった。僕たちが泊まっていたホテルには非常用発電機がなく、廊下に非常用照明があるだけだった。雪はまだ激しく降っていた。この天気じゃ今日もリフトは閉鎖だなと一人ぼやきながら、僕はベッドへ戻った。

 数時間後、みんなが起きたときもまだ電気は通っていなかった。携帯電話の照明でシャワーを浴びると、朝食を食べるために下の階へ下りていった。他の泊り客はほとんどもうそこにいて、ホテルのスタッフを質問攻めにしていた。スタッフは、地元のラジオ局がウェブサイトに掲載した巨大な雪崩の監視カメラ映像を見せていた。ほろ酔いしているように見える1人の男をみんなが笑っていた。夜遊びして家に帰ろうというときに雪崩に遭い、疾走する羽目になったのだ。

 その時だ。ニュースが届いた。街は孤立してしまった。リフトはすべて停止し、スキーどころではない。雪崩の警戒レベルは5段階中の5で、過去20年でこれほど高いのは初めてだという。僕たちはもう2日間、宿泊予約を入れていたから、まだそれほど帰りの心配はなかった。6人ほどの客がフライトに間に合わないと言って怒っていた。残りの客はロシア人のようだったが、何事にもあまり動じていないようだった。

 

(c)AFP/Mark Ralston

 

 街が孤立したというのを聞いた瞬間、僕は休暇を楽しむスキーヤー・モードから、働くジャーナリスト・モードに切り替わった。旅行用カメラと唯一持っていたレンズをつかむと歩いて鉄道駅まで下りて行った。そこはカオスだった。

 列車は豪雪のせいで前日の午後5時から止まっていたため、駅には運行状況の知らせを待つ観光客があふれかえっていた。彼らはすでにホテルをチェックアウトしてしまっていて、他に行けるところがなかった。

 駅では救急隊員が線路の除雪をしようとする傍らで、他の隊員たちが雪崩に遭った地域へ続いている道路を封鎖していた。

 午前10時になると店が開き、人が出てきたと思うとあっという間に飲食店は満員となった。何もすることがなくて飽き飽きしている1万3000人を相手にその日、店はいい商売になったはずだ。

 家族がショッピングしながら街をぶらぶらしている間、僕は写真や動画を撮影して1日を過ごした。ほとんどの人はくつろいでいた。

 次の日、1月10日になると皆、いら立ち始めた。特に午前11時15分に再開するはずだった始発がキャンセルになると、荷物を引きずってヘリコプター乗り場へ向かう人が現われた。タクシーはほぼ来なくなった。ほとんどの人が寒空の中、屋外で待つよりもヘリポートへ向かうタクシーに乗って待たされる方がいいと考えたからだ。

 

ヘリポートまで歩いて向かう人びと(2018年1月10日撮影)。(c)AFP/Mark Ralston

 

■「ぜいたくな」災害取材

 これまで僕は多くの自然災害を取材してきた。中国や日本の地震、さまざまな国での洪水、米国のハリケーンや山火事。だが今回は少し違った。避難する人々を取材した後に、ツェルマットにあるイタリアン・レストランの一つへ行き、素晴らしい食事とトスカーナワインを堪能できる、なんていう取材は初めてだった。いわば「ぜいたくな」災害取材だ。

 スイスのシンボル、名峰マッターホルン(Matterhorn)のふもとにある美しいリゾートで捕われの身となることは、皆さんが想像するほど奮闘努力を要さなかった、という点を告白しておこう。地元の人たちはとにかく親切だった。通常は正午から2時までシエスタのために閉まる店は、何もすることがない観光客のために開けておいてくれた。レストランもバーも大盛況でテーブルを探すのにひと苦労だった。

 

(c)AFP/Mark Ralston
スイス・ツェルマットのホテルにリネンを届けるヘリコプター(2018年1月10日撮影)。(c)AFP/Mark Ralston

 

 ホテルのスタッフは笑顔で僕たちにリラックスして絵葉書でも書いたらと言ってくれた。17歳の娘は電話で旅先から友達に最新状況を報告していた。

 一番腹を立てていたのはスキー客だったと思う。雪崩のリスクが高くすべてのコースが閉鎖されていたため、ただ状況が変わるのを待ちつつ新雪を見上げるしかなかったからだ。

 火曜日の午後にはヘリコプターで脱出する人も出てきたがそれほど多くはなく、天気は依然、悪かった。水曜の朝になるとヘリコプターの便数が増えたが、順番待ちは長蛇の列だったため、多くの人があきらめ列車を待った。列車の運行はその夜、再開した。

 

行き先のない列車。スイスのツェルマット駅(2018年1月9日撮影)。(c)AFP/Mark Ralston

 

■散々なスキー休暇

 僕たちは予定通り木曜日に出発したが、移動は1日がかりだった。テーシュ(Tasch)まで列車で行き(通常12分のところが1時間かかった)、場所を確保するために急いでバスに乗り込んでフィスプ(Visp)の鉄道駅まで下り、そこからまたチューリヒ(Zurich)行きの列車に乗った。そしてチューリヒで一晩過ごすことになったのだが、ツェルマットにいたと言うと、地元の人たちからちょっとしたロックスター扱いされた。

 結局は散々なスキー休暇だった。9日間の休暇のうち、丸1日スキーができたのはたった2日で、半日だけできたのが3日だった。その間、上司からは親切にも「君とは絶対に休暇に行かないよう、言ってくれ。間違いなく災害に遭うから」とメッセージが来た。

 繰り返すが数々のレストランと料理のクオリティの高さによって、だいぶ救われるところがあった。それから「期待通りにいかなくても冬なんだから、絵葉書でも書いて過ごして」というスイス人の平然とした態度も、フラストレーションを抑えるのに役立った。ひどいハリケーンや地震に比べたら対処が楽な災害だったと言える。

 来年は真っ青な空に人工雪のカリフォルニアでスキーをしようと思う。だが、災害ホリデー男の異名を持つ自分としては1人で行った方がいいのだろうか…。

このコラムは米ロサンゼルスを拠点とするフォトグラファー、マーク・ラルストン(Mark Ralston)が、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年1月23日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

 

ツェルマット-テーシュ間を走る列車から撮影した雪崩の名残(2018年1月11日撮影)。(c)AFP/Mark Ralston