【1月16日 東方新報】運動ニューロン疾患(MND)と診断され、臓器提供を申し出ていた北京大学(Peking University)博士課程歴史学科の学生、婁滔(Lou Tao)さん(29歳)が4日、亡くなったと報じられた。

 4日夜、自宅のベッドで横になっていた婁さんは、唇と喉を懸命に動かし、何かを伝えようとしていた。婁さんは気管を切除してしまったため、話すことも困難になっていた。看病していたおばが耳を婁さんの口元まで近づけて、何とか聞き取れたのは、「お母さんをお願い」だった。それを聞くや否や、おばは涙があふれた。その後、婁さんは昏睡状態に陥り、周囲の家族がどんなに呼んでも反応しなかった。数時間後、婁さんは息を引き取った。

 婁さんは2016年1月に、中国で通称「少しずつ凍る病気」と呼ばれる運動ニューロン疾患だと診断された。病状が進行し、ペンを持つことができなくなったため、口頭で臓器提供を申し出、看護師の助けを借りて記録してもらった。「人の命を救えるなら、できるだけすべて提供して欲しい」と話していたが、婁さんの臓器は移植手術の条件に合わず、提供は見送られた。

 婁さんが亡くなった翌朝、早朝から父の婁功余(Lou Gongyu)さんの携帯電話にはひっきりなしに電話がかかってきたが、「心が引き裂かれ、話す気力がなかった」という。

 功余さんは、「娘は肉が好きで、何度かスープを飲みたいと言っていた。しかしその頃にはすでに食事を取ることもできなくなっていた」と話す。

 長い入院生活で、しっかり者だった婁さんも精神的に参っていった。眼球で操作できるパソコンで、「もう治療はしたくない。臓器提供をしてすぐに燃やしてほしい」と言ったり、別の日には「治療を続けたい」と言ったりしていたという。

 5日午後、婁さんの遺体は荼毘(だび)に付された。現地の風習に沿った葬式や追悼式も行わず、骨は埋葬せずにすべて川に散骨した。母の汪艶梅(Wang Yanmei)さんは、「あの子の遺骨は、川の水と共に永遠に生き続けるのです」と話した。(c)東方新報/AFPBB News