【12月1日 AFP】国際テロ組織「アルカイダ(Al-Qaeda)」の最高指導者だった故ウサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)容疑者にちなんで名付けられていたイラクの16歳の少年が、正式な改名を4日後に控えていた11月29日に感電死した。少年のいとこが30日、明らかにした。

 アルカイダは2001年9月11日に米同時多発攻撃を実施。ウサマ・ビンラディン・フセイン(Osama bin Laden Hussein)君(16)はその年の年末に生まれた。名前を付けたのは父親だ。

 いとこのモハマドさんがAFPに語ったところによると、当時サダム・フセイン(Saddam Hussein)政権下のイラクのメディアはビンラディン容疑者をテロリストではなく「英雄」として扱っていた。そこでフセイン君の父親は生まれたばかりの息子にその「英雄」にちなんだ名前を付けたという。しかしその選択は裏目に出た。

 2003年の米国主導の有志連合によるイラク侵攻後、「ビンラディンが暮らしている」と聞きつけた米兵がフセイン君の家を急襲した。この出来事は幼いフセイン君の心に傷を残した。

 フセイン君は外出が怖くなり、パトロールする兵士を避けて引きこもりがちになった。やがて勇気を出して外出し、路上でお茶を売って小遣いを稼ぐようになった。

 しかし2か月前にローカルテレビ局のインタビューを受けたことでフセイン君の運が変わった。

 インタビューを行ったアハマド・ハッジ(Ahmad al-Hajj)記者によると、その番組を見たカシム・アラジ(Qassem al-Araji)内相がフセイン君一家を首都バグダッドの政府施設や各国大使館などがある旧米軍管轄区域「グリーンゾーン(Green Zone)」に招待して懇談した。

 アラジ内相はフセイン君に冗談を言い、iPhone(アイフォーン)をプレゼントしたほか、改名も提案した。

 フセイン君は新しい名前を思いつかなかったため、アラジ内相が「アハマド」に決めた。新しい名前が入ったIDカードは今月3日に届く予定だった。

 この幸運に意を強くしたフセイン君は職探しを始め、1週間前に交換用部品販売店の仕事を見つけた。

 しかしフセイン君は11月29日、資材を下すため店の屋上に上ったところ、足を滑らせた拍子に電線をつかんでしまった。モハマドさんは「彼は感電死した」と語った。(c)AFP