【12月12日 AFP】10月、タイのプミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej)前国王の葬儀が行われ、首都バンコクの街頭は数日間にわたって約30万人の市民であふれ返った。

 人々の悲しみはありありと伝わってきた。皆、泣いていた。多くの人がアスファルトの道路の上でひれ伏していた。あらゆる場所に肖像があるその人物を「国父」だと考えて育ってきたのであれば、その死によって深い喪失感と虚無感がもたらされたのは当然と言える。

 だが、外国人記者である私は、世界有数の厳格な不敬罪の適用によって守られているこの王国の別の側面にもはっきり気付いていた。英BBCが公開した新国王の「不都合な」経歴をフェイスブック(Facebook)に投稿した、あるいはインターネット上の書き込みを前国王の愛犬を侮辱したものと見なされた、などで投獄された人々もいる(本当の話だ)。

 前国王の葬儀は伝統に倣い、死去から1年後に行われた。軍の兵士らは遅々とした足取りで数時間にわたって行進し、僧侶らは経を唱えた。新聞とテレビからは他のニュースが一切、消えた。

タイの首都バンコクで行われたプミポン・アドゥンヤデート前国王の火葬式。後方に見える金色の山車で、前国王の遺骨が入った骨つぼが運ばれた(2017年10月26日撮影)。(c)AFP/Roberto Schmidt

 金色の火葬施設は高さが50メートルあり、数々の仏像やヒンズー教の神々の像で飾られていた。2人の男性(前国王の担当医ら)が骨つぼの入ったかごを担ぎ、その頂上へと運んだ。赤い服を着たワチラロンコン(Maha Vajiralongkorn)国王がロールスロイスに乗って到着すると、白髪頭の王宮の侍従たちがひざまずき、そのままの姿勢を保って後ずさりする。葬儀を担当する職員たちも花輪を床に置き、はいつくばるようにして下がっていく。

 最初にタイに来たとき、多くの欧米人と同じように私もこの国の儀式に魅了された。特にプミポン前国王の肖像写真の前で、インラック・シナワット(Yingluck Shinawatra)前首相がひれ伏す姿を捉えた写真は強烈に印象に残った。

タイのプミポン・アドゥンヤデート国王が入院するバンコクのシリラート病院を訪れ、国王の肖像にひれ伏すインラック・シナワット首相(2014年10月6日撮影、肩書は当時)。(c)AFP/Christophe Archambault

 しかし、ここで暮らして4年がたち、最初の頃に感じた魅力は薄れた。

プミポン・アドゥンヤデート前国王の火葬式が行われたタイの首都バンコクで、葬列を待つ群衆(2017年10月26日撮影)。(c)AFP/Ye Aung Thu

 1年にわたって続く服喪期間やその費用、影響などに疑問を持った人を見たことがない。1人だけ、前国王の火葬の日には赤いシャツ(タクシン・シナワット<Thaksin Shinawatra>元首相派「反独裁民主統一戦線<UDD>」の色)を着て「誰も想像できない」ことをするつもりだとフェイスブックに投稿した若い活動家がいた。

(不敬罪について詳しいNGO「人権のためのタイ人弁護団<Thai Lawyers for Human Rights>」によると、この若い活動家の下には警察が訪れ、数日間、バンコクから離れているよう命じたという。)

 不敬罪の存在ゆえにAFPのような報道機関は、タイ王室に関する記事の内容に慎重になる必要がある。そのため、この国での取材活動は時に用心しなければならない。

タイのプミポン・アドゥンヤデート国王が入院していたバンコクのシリラート病院前で、国王死去を悲しむ群衆(2016年10月13日撮影)。(c)AFP/Lillian Suwanrumpha

 火葬式の数日前、私は仏教思想家のスラク・シワラク(Sulak Sivaraksa)氏(85)にインタビューした。同氏は16世紀にタイの王が隣国ビルマ(ミャンマー)の王を殺害した戦争に関する公式見解に疑義を呈し、不敬罪で起訴されていた。自分の意見を思い切って述べる、タイでは珍しい知識人だが、それでも言葉には非常に慎重だった。唯一、私が記録に残すことを認めてくれたのは、もし昔の王たちが不敬罪で守られていれば歴史家は仕事ができないだろう、と述べた言葉だけだった。

 前国王の火葬式を控え、私はこの行事の意義について語ってくれる専門家を探した。だが、次から次へと断られた。最後にようやく1人、タイに拠点に置くデービッド・ストレックファス(David Streckfuss)氏が応じてくれたが、自分の言葉を一字一句、私に書き写させ、記述が大胆になり過ぎないようあちこち添削した。通常の私ならば、こうした重箱の隅をつつくような作業はばかばかしいと思うだろう。だが、この国では彼の慎重さが理解できた。

 ストレックファス氏の発言の中に、例えば英国のような他国の王室が進化できるのは、市民社会の批判を甘んじて受け入れるからだという指摘があった。タイには、そんなものはない。それどころか、タイ国民は王室について話すときは常に用心深い。自分のきょうだいや隣人、タクシーの運転手にだって訴えられた例がある。

タイの故プミポン・アドゥンヤデート前国王の誕生日に、首都バンコクのプミポン橋でその死を悼む人々(2016年12月5日撮影)。(c)AFP/Lillian Suwanrumpha

 AFPのような報道機関が同じように慎重に振る舞うのにはそれなりの理由がある。英大衆紙デーリー・メール(Daily Mail)は新国王を侮辱する記事を掲載したとして数年間、タイでの活動を禁じられている。

タイの地下鉄駅のホームに並ぶ人々とワチラロンコン国王の肖像(2017年10月30日撮影)。(c)AFP/Roberto Schmidt

 火葬式の取材には特別な努力を必要とした。動画・写真班の記者たちは、まずは身なりから整える必要があり、1人はひげをそり、1人は散髪した。王宮の儀典長らを訪問した後、この通達を受けた私は冗談かと思った。だが、英国人とコロンビア人の2人の記者はこの指示に従った。さらに彼らは式典の間、指定された位置で数時間、敬意を示す姿勢を保つという要請にも応じた。

 だが、新国王が中央を歩く葬列を撮影できるという予想外のボーナスがAFPの取材班に舞い込んだ。通常、国王を撮影できるのは、宮廷の公式カメラマンだけだ。毎夜8時の「ロイヤルニュース」では、(国王より高い位置から撮影しないために)膝をついて撮影された国王の写真を目にすることができる。公式カメラマンたちは膝立ちのまま、前に出たり後ろに下がったり素早く動き回るので、私はいつも感嘆し、ズボンの下に膝当てでも装着しているのではないか、秘密を知りたいと思っていた。

即位したタイのワチラロンコン国王にひれ伏すタイ軍事政権の指導者ら。左列中央はプラユット・チャンオチャ首相、中央・ピンク色のたすきを付けているのはプレム・ティンスラノン枢密院議長(2016年12月1日撮影)。(c)AFP

 タイ王宮は極めて潤滑に動く機械のようだ。ここでは一切、情報が漏れない。メッセージは遠回しに伝達される。例えばワチラロンコン国王が皇太子だった2014年、シーラット(Srirasmi)皇太子妃と離婚した際には、最初の知らせは、まず午後8時の「ロイヤルニュース」で流れる映像から同皇太子妃の顔が消えるという形で伝えられた。通常、番組冒頭では金貨の中の王族の顔が映し出されるのだが、ある晩はその中にいたはずの同皇太子妃が、翌日にはいなかった。

 数日後、離婚に関する公式発表があったが、「離婚」という言葉は使用されず、皇太子妃が王室の称号を剥奪されたと伝えられただけだった。タイのメディアはこうした公式発表の言葉遣いから逸脱することはできないため、そのままの表現で報道した。私たちAFP支局では長時間、激論を交わした末、非常に明確に2人は離婚した、と書くことにした。離婚後、前皇太子妃は公の場に姿を見せず、彼女の高齢の両親を含めて多くの親族が不敬罪で有罪となり、刑務所に収容されている。

タイ・バンコクの王宮前広場に設けられた火葬施設で父、故プミポン・アドゥンヤデート前国王の火葬が行われた翌日、遺骨を分けるワチラロンコン国王(2017年10月27日撮影)。(c)AFP/Anthony Wallace

 タイで起きていることを把握するためには、時にほとんど意識されないサブリミナルなサインを読み取る技を磨く必要がある。例えば前国王の火葬式の日、新国王のロールスロイスから1人の女性が降りるのが見えた。彼女は新国王と同じように赤い服をまとっていた。公式行事ではよく目にする女性だったが、タイのメディアがその名前や称号を報じたことは一切ない(新国王と2度目の妻との間に生まれ、現在米国に住む息子たちについても報じられたことがないのと一緒だ)。

 香港支局から取材の助っ人として来ていた動画班の同僚記者は、字幕をつけるためにこの女性は誰なのかと聞いた。するとタイ人の同僚たちは不機嫌そうな顔をして、忘れろと彼に答えた。私たちは全員、女性が誰かを知っている。でも、正式な許可を得なければ、その名前を書くことはできないのだ。

 私は王宮の広報担当者に電話して、その若い女性の称号を尋ねた。長い沈黙の後、応対に出た女性は新国王の執務室につないでくれたが、誰も電話に出なかった。謎の女性の正体は、読者にとってこれからも謎のままだろう。

タイ・バンコクの王宮前広場に設けられた火葬施設で故プミポン・アドゥンヤデート前国王の火葬式が行われた翌日、到着したワチラロンコン国王(右)と娘のパチャラキティヤパー王女(2017年10月27日撮影)。(c)AFP/Anthony Wallace

 言うまでもなく、同僚たちも私も新国王にインタビューしたことはない。まだ皇太子だった昨年のうちに一度申し込んでみたが、直接、皇太子の宮殿へ行って手書きした依頼書を提出するように言われた。そのときに宮殿で見た衛兵たちの姿は忘れられない。全員が制服に、赤ん坊だった頃の皇太子の写真があしらわれた飾りピンを着けていた。インタビューはできなかったが、あのピンを見ることができただけでも行った価値はあった。私にはあのピンが、この国をこれから率いていく新しい国王の人間性を語っているように思えたからだ。

タイ・バンコクの王宮前広場に設けられた故プミポン・アドゥンヤデート前国王のための火葬施設(2017年10月17日撮影)。(c)AFP/Roberto Schmidt

このコラムは、AFPバンコク支局のデルフィーヌ・トゥーブノ(Delphine Thouvenot)支局長が執筆し、2017年11月22日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。