【11月19日 東方新報】日本で活躍する中国人歌手、謝鳴(Xie Ming)さんが近く、両親の故郷でもあり、幼少期を過ごした中国・浙江省(Zhejiang)寧波市(Ningbo)で「東京縁夢・情系寧波」と題したコンサートを開催する。今年は、日中国交正常化45周年にあたる。28年前に来日した謝さんは、「日本人の友達もたくさんでき、人々の親切さを深く感じています。私の歌声を通して日本と中国の架け橋になりたい。寧波で歌うことで、故郷のみなさんに謝鳴は中日友好のために微力ながら努力していますと、『心をこめて』歌うことによって伝えたいのです」と話す。

 謝さんは、小学校を卒業するまで寧波で育った。「子どもの頃に友達と走り回っていた風景を、よく夢に見るようになりました。懐かしい思い出があふれるあの街に、夢だった歌手として戻る日が来ました。日本で20年間歌い続けてきた私の成長を、寧波の人びと、家族や友達に歌声にのせて報告したい」と意気込みを語る。

 小学生の頃から歌やダンスが大好きだった謝さんは、国立北京舞踏学院(Beijing Dancing Academy)に合格したが、家族と遠く離れて暮らしながら厳しい練習生活を送ることになるため、両親は幼い謝さんを北京へ行かせることを断念したという。それでも歌やダンスへの情熱が冷めることはなかった。

 20歳の時、上海で歌手デビューを果たした。しかし当時の中国では、オリジナルや好きな曲を自由に歌える機会は少なく、過去のヒット曲のカバーを歌う歌手が多かった。当時、山口百恵やテレサ・テンの歌を耳にした謝さんは、その歌声にひかれるとともに、その自由さをうらやましく思ったという。

 デビューから2年後の1988年、日本に留学していた双子の弟を頼って来日。憧れの山口百恵(Momoe Yamaguchi)やテレサ・テン(Teresa Teng)の足跡をたどって、「日本で歌手になりたい」という夢を追い求めた。「でも実際に、現実は甘くはありませんでした」。日本語を勉強しなければならなかったし、アルバイトをしながら日本語学校へ通う生活に追われ、仕事中に倒れたこともあったという。

 1年後、クラブでテレサ・テンの歌を歌うアルバイトを見つけた。ここでも自分の好きな曲を歌えた訳ではなく、店が決めた曲しか歌えなかった。だが2年間クラブで歌い続けるうちに、徐々に日本人のファンを獲得していった。当時、ファンの1人に言われて感動した言葉がある。「日本人とか中国人とか関係ない。外国で一生懸命頑張っているから応援するんだよ」。こうしたファンの存在が、異国で夢を追い続ける謝さんを支えた。

 謝さんはその後、1991年と94年に上海でアルバムをリリースし、日本と中国で計50万枚を売り上げた。2002年には徳間ジャパンから夢だった日本デビューを果たした。以来、日本と中国の両国で着実にファンを増やしていった。謝さんは、「ファンの方は、私が歌手として飛び抜けているわけではないことは分かっていると思います。でも心をこめて歌うことで、気持ちが伝わっているのだと思います」と話す。

 今回のコンサートは28年前に来日して以来、2度目の凱旋コンサートだ。寧波市で100年の歴史を誇る劇場「天然舞台」で歌う。中国のファンに人気の曲や、日本語のオリジナル曲「西風のアデュー」「別れ上手」「縁」のほかに、「こころの歌~当你老了(訳:あなたが年老いたら)~」も披露する。この曲は、謝さんが歌詞を初めて聞いた時に感動し、「ぜひ日本の人たちにも聴いてもらいたい」と思い、個人で権利を買い日本語に翻訳して歌った曲だ。年老いた母親へ贈る息子からのメッセージが歌われている。

 12月には、東京・銀座でほかの華人歌手と共にライブも行う予定だ。新曲のキャンペーン活動やサイン会なども予定している。(c)東方新報/AFPBB News