【10月22日 CNS】中国・江蘇省(Jiangsu)恵山(Huishan)鎮の「中華文化海外交流基地」で、「恵山泥人形」(earthen figures of Huishan)を作り続ける30代の夫妻、倪俊(Nijun)と曹智イ(Cao Zhiwei%%)両氏を、中新網の記者が訪ねた。

「私たち夫婦はよりカッコいい、より面白い恵山泥人形作りを試みてきました。この伝統工芸が強い生命力を持っていることや、私たちの夢も、この無形文化財の恵山泥人形を伝承していく中でますますおう盛で、豊かになりました」

「恵山泥人形」は無錫(Wuxi)名物の一つで、地元の泥人形職人は恵山の東北坂のふもとで、地表から1メートル周辺にある黒泥を原料にして人形を制作する。泥質がきめ細かくて柔軟で、頑丈で割れにくて乾燥にも強く、可塑性が良くて泥人形作りに適している。無錫出身の人たちにとっては、恵山泥人形は郷土の誇りであり、特別な親近感を持っている。

 1950年代、恵山では「恵山泥人形連合会」と「泥人形協同組合」が結成され、90年代には無錫の泥人形職人は800人以上いた。恵山泥人形は全国各地へと運ばれていった。輝かしい一時代を過ぎると、恵山泥人形の生産量は急激な減少の一途をたどり、ピーク時に年間200万余体だった生産量は約4万体まで激減し、泥人形職人も20数人ほどしか残らなかった。

「絶滅危惧種」になってしまった恵山泥人形に朗報が訪れたのは2006年、最初の国家無形文化財リストに登録されただった。翌07年には人材不足を解決するため、初めて社会人向けの泥人形職人の弟子を募集した。まだ学校を卒業したばかりの倪さんと曹さんはそろって弟子入りし、恵山泥人形作りの巨匠である喩湘漣(Yu Xianglian)、王南仙(Wang Nanxian)、柳成蔭(Liu Chengyin)各氏に師事し、泥人形の作り方を習い始めた。

 2009年、見習い期間が終わり、恵山泥人形の次世代伝承者になった。二人は3年後に結婚。恵山鎮で2階建ての建物を借りて、「縁泥坊」という名の工房で無形文化財伝承の夢を実現する創業の旅に踏み出した。