「子どもの村」で暮らす子どもたちは両親を亡くしており、健康で戸籍も持っているが、扶養する余裕のある親戚はいない。「お母さん」は子どもたちの一切の管理を任されているが、「お父さん」は存在しない。朝は早くに起きて、朝食の支度、洗濯、買い物、夜は子どもたちを風呂に入れて寝かしつける。張さんはこのような生活を31年繰り返してきた。

 張さんはこれまでに25人の子どもを育て上げ、年長者はすでに40歳を過ぎている。一番小さい子どもはまだ4歳だ。すでに結婚して起業した子どももいれば、まだ幼稚園や小学校に通っている子どももいる。「お母さん」になって初めて泣いたのは、「長男」が病気になった時。張さんは取るものもとりあえず、息子をおぶって病院まで走った。その夜は一睡もできなかったと話す。

 子どもたちはいたずらもすれば、大騒ぎもする。ニュース番組が好きな張さんは、アニメを見たい息子とチャンネルの取り合いになることもあるという。7人も8人も子どもがいると、幼稚園から高校まで幅広い年齢の子どもがいるため、何かあると1週間に何度も学校を往復しなければならず、時にはすでに独立して結婚した子どもの子、つまり「孫」の送り迎えを手伝うこともあるという。

 血縁関係はないが、この家には兄弟姉妹がたくさんいるし、子どもたちはみな張さんを実の母親として接している。成人して「子どもの村」を出て行った子どもたちも、年越しなどには帰ってきて、「お母さん」ときょうだいたちに会いに来る。「米国に留学していた娘が、米国人の彼氏を連れてきたこともあったんですよ。結婚するときも、この村で中国式の結婚式を挙げてくれました」

「人のため」という張さんの優しさは、自身の家族にも影響を与えた。もともと「お母さん」になることに反対していた張さんの姉や弟も、張さんの子どもたちと実の親戚のように接するようになった。子どもたちにプレゼントを贈り、結婚するとなれば村に来て結婚式に参列してくれた。