【10月8日 AFP】1967年10月10日、南米ボリビアの小さな町に仮設された遺体安置所で、同国軍はマルクス主義者の伝説的革命家、エルネスト・ゲバラ(Ernesto Guevara)──通称チェ・ゲバラ(Che Guevara)の遺体を報道陣に公開した。

 キューバ革命の英雄の最期を伝えるため、同国の政府所在地ラパス(La Paz)から南東へ約700キロ離れたバジェグランデ(Vallegrande)へ飛んだ報道陣の中に、AFPのマルク・フッテン(Marc Hutten)特派員(2012年死去)がいた。

 ボリビア軍は当時、ゲバラは新たな民衆蜂起を起こそうと潜伏活動を行っていた同国山中での戦闘で負傷し、それが原因で死亡したと説明していた。だが後に、ゲバラは捕らえられて処刑されたという事実が明らかになった。39歳だった。

 ゲバラの遺体はバジェグランデに埋められていたが、死後30年たって遺骨が発見され、キューバのサンタクララ(Santa Clara)にある霊廟(れいびょう)に葬られた。

 フッテン記者が撮影した数枚の遺体写真は、このアルゼンチン生まれの闘士が他界した証拠を世界に提示した。またその記事は、50年前の遺体公開の様子を鮮やかに伝えている。以下はフッテン記者が当時書いた記事の一つだ。